ご当地

建築家的建築家像があるというのはとてもスイスらしい。
てのを書いたのはこのブログだったっけ、それとも誰かへのメールだったっけ。
BASELといえばH&deMにD&D、TICINOといえばボッタ、GRAUBUENDENといえばズントーにオルジアティ、も少し細かくVRINといえばカミナダなどなど。


スイスは電車で2,3時間行くだけで街の空気ががらりと変わる。
こんな小国が4つも言語を持つなんてかなりばかばかしいことがその空気を味わえばきっと誰しも分かるくらいに変わる。
険しいアルプスがつくり出したのか、それとも自らも認めるコンサバな人格の集積がつくり出したのか、そんな空気。


そんな空気を自然に吸い込んでまた吐き出すかのように、
建築家たちは自らがホームグラウンドとした土地で、その土地に見事に合う建築をつくり、そしてつくり続ける。
この街の空気がもともとあったものなのかそれとも彼らの建築がつくったのかも、そもそも何が''合って''いたのかも分からなくなってしまうくらいにつくり続ける。
そんな絶妙な具合で、その建築はこの街にどこかしっくりきていて、またその建築がこの街の空気をつくっているのである。
やはり建築もまた言語なのである。


ジゴンゴヤもZURICHにおいてそのような建築をつくりだす方法を心得ている。
UEBERBAUUNG BRUNNENHOF IN ZURICHが想像させるライフはまさにZURICHだ。


このパネルのゆるさが絶妙。ふつうにやったらださくなるだろうに、緑豊かな敷地になぜかフィットしている。

ヴォリュームのちょっとした折れもその細長いプロポーションがつくりうるであろう圧迫感を緩める。とにかく絶妙なZURICH的緩さ。

この日は天気もよかったのでぷらぷらしました。無性に海産物が恋しくなる今日この頃。