やけていく

日々。それくらいZURICHは太陽さんさんである。
今日も学校の行事でプチはいきんぐ。また時計の跡がくっきりしていく。


クラスの違う3人が協力して、ドイツ語で書かれた地名を地図から探し、
実際にそこへ行ってこれまたドイツ語で書かれた指令をこなすといういわゆるぷっすま的なゲーム。
ぼくの相棒はたまたま油を貸したことがあった同じ寮のシカゴ人サラと、そのともだちのノルウェイ人ロス。
電子辞書をもってるアジア人はどこへ行っても辞書役。
独和で調べたことばを和英で調べ直さなきゃいけないのがなんとももどかしい。
講師の先生が話すドイツ語、町で行き交うスイスドイツ語(ホントに全く違う言語にきこえる、理解不能)、
アメリカ人が話す英語(これもなかなか聞き取れない)、アジア系が話す英語(これは聞き取れる)、
ヨーロッパから来た留学生が話す英語(これがいちばん聞き取れる)、そして日本語と、
スイッチを切り替えるのに奔走する日々だ。これは建築以前に乗り越えねば。


さてこのゲームがなかなかおもしろい。
とにかくZURICHの街のあちこちに連れられる。
ケーブルカーに乗ったり、軽くハイキング状態になったり、はたまた美術館に行ったりと、
けっこういい街案内をされている気分。
どこへ行ってもZURICHの街はきれいで、ラグジュアリーで、緑いっぱいで、建築もおもしろい。
街がホントにメンテされていて、街への愛情が伝わってきて、自然に幸せな気分になる。
物価が高くてもこんな街ができるとしたら実はかなり幸せなことなんじゃないか。
日本はどんなに税金が高くなっても、こういった豊かさはきっと後回しなんだろう。
ひたすら問題をこなしてくれるふたりをよそに、
そんなことを思いながらひたすらおもしろい建築を目に焼きつける。


MUSEUM RIETBURG出口すぐの1Fがレストランになってる建物のファサード
心にばしっと緑の窓枠のガラスボックスを入れて対称性をつくったと思いきや、
大きな窓と小さな縦長窓が横に並んだセットがグリッド状に並べられて絶妙に崩す。
これは相当かっこいい。絶対また見に来なければ。
CHINAGARTENを行き過ぎると見えた円錐でてっぺんにふたみたいなのがついてる屋根がかかった家。
UNIのボタニカルガーデンの入り口からすぐ見える、
プリント転写ガラスで覆われたボックスがGYREみたいに積み上がった建物。
五十嵐淳ぽい窓が丁寧にあけられてかっこいい。
BELLEVUEの橋から、ちょうど湖の反対側を向くと見える建物のファサード
1層目はアーチが4つ並び、2層目にワンクッションあって、3〜5層目のファサードのちょうど半分くらいだけ
列柱が横断してバルコニーになり、てっぺんにペディメントがつく。全然破綻してないのがうまい。
ファサードをつくることでいかなる空間を生み出せるのか。
ファサードは空間を表出させるべきなのか、それとも裏切るべきなのか。
そのズレにいわゆるインパクトがあるのか、考えることは尽きない。やはり建築は見た目が重要である。


案の定街歩きが終わった頃には「やけたね」のひとこと。
窓に論文についに指令が入ってくる。そろそろ作業モードに入ります。