それでは

SEMINARWOCHE開始。メンバーは学生21人+アシスタント2名の総勢23人。丁寧に製本された充実の資料。7日間の旅。
ZURICH-ATHENSへと向かう飛行機から見えるアルプス山脈にいきなり度肝を抜かれる、ジャッキンジャッキンです。
それが2時間後にはがらりと変わり、ギリシャのもこもこした渇いた風景が見えてくる。


去年の東工大の卒制の中でタイトル賞をあげてもいいんじゃないかと思ったくらいのfくんの絶妙な''郊外の果て''という表現がまさにピッタリと言わんばかりの風景。
空港前にどーんと構えるIKEA。スケルトンインフィルでところどころが抜け殻になったままの住宅。地中海を越えてサバナに来たんじゃないかと思うくらいの渇いた木々。
それらがどれもぽつぽつと建っていて、その上そのすきまにはどこも肌色の渇いた土が広がっていて、これがなかなかいたたまれない風景に拍車をかけている。
歴史が堆積しすぎてもう動くのをやめてしまった、始まりにして終わりの地。そんな絶望すら抱いてしまうような印象。
その一方で、キュービックで、スケスケで、コルビュジェのドミノシステムを思い起こさせる住宅はやけに普遍的でもある。
スイスでは見られないはり出した庇やロッジアが気持ちよい。


そんな家々を見ながらしばし海岸沿いをバスで走り、着いたのがこの旅最初の目的地 SOUNION, POSEIDON TEMPLE 。
ほぼ原形を留めてはいないが、BC444年建設とは思えないほどきれいなクリーム色の柱。だるま落としのようにつまれている姿が緊張感をつくっている。
この建築でなによりも語るべきだろうことはその建ち方だと思う。海抜60Mの絶景が広がる岬の突端、'最初の'建築を建てるとしたらここにしかないだろうという建ち方。
おもしろいのが、まずバスから見える遠景は、薄っぺらいただの板のような印象の建築が、
岬を登るあいだ少しばかり見失ってから今度はいきなり太い柱が切り立つ非常に大きくマッスで圧倒的な建築として現れ、
そして裏をぐるりと回って少し離れて振り返ると、 そのマッスよりもっと大きく力強い基壇の上に建つ、非常におおらかな建築に変わり、
もっと離れていくとそれすら実はほんの部分にすぎなくて、その岬自体が建築の全体だったんじゃないかと思わせられるということ。
それはまさに建ち方がつくるものなのか、それとも基壇という建築のエレメントのなせる業か、いや屋根という建築を統合するエレメントを失ったことによるものなのか、
いったい建築の全体性とはなんなのかということをひたすらぐるぐると考えさせられる。
そうなると急に''ランドスケープ''という、少しばかり幼稚に考えていたものが急に建築に引き寄せられてくることに気づき、
そうなると今度は建築の中心とはどこなのかみたいなことに意識が回ってきて、
カメラのファインダー越しに見る建築とランドスケープのどこに中心があるのかとふらふらカメラを動かしてみる。
ぼくは建築に中心がないことなど全く信じてなくて、
シンメトリーや円形プランじゃなくても必ずどこかに中心、いや焦点といったほうがいいかもしれない点があると信じている。
海と建築を結ぶ何もない直線上にこの建築の中心が、関係の中心があってもいいじゃないかと一点透視でパシャリ。
ETHの大教授ミロスラフ・シクは、はっとするようなシーンをひたすらレンダリングで描かせると聞くが、
まさに彼はこの中心がどこかと学生に問いかけているんじゃないかと勝手に想像を巡らす。


その後ATHENSに入りギリシャの若手建築家の事務所に行くもこれが全然で学生の不満が爆発。
もの足りない学生はちりぢりになって夜の街を徘徊。


断然夜のほうが元気でカオティックなATHENSを4時間近く歩き回り、0時過ぎホテル着する。


いきなりザ・ギリシャな感じでよいです。じりじりかっこよく見えてくる。

海とともに。広大な海を取り込むこの視点だとほこらくらいに小さく見える。

そして海。ギリシャの土はどこもこんな感じにドライです。

ギリシャの大衆食堂、''TABEPNA''と書いて''タベルナ''と読む。ギリシャ人は想像以上に明るく、田舎臭い。


※建築の中心