ツヴィシェン

クリティーク第1回。
いきなり10時から22時までぶっ通し、メルクリが動きまくりしゃべり倒す12時間。


まずは驚きから。


とりあえず敷地模型をつくってヴォリュームスタディから、というぼくに対し、
みんな絵をそこまで描くでもなくとにかくリファレンスとなる建築の写真をプレゼンボードに貼りまくっているではないか。
それこそパラーディオの建築に始まり、モダンなものから坂本一成まで。
建物だけじゃなく、加えて家具も彫刻も、またそこに暮らす人のイメージ写真まで貼っている人もいる。
こういう文化があるということは知っていたが実際に体験すると結構ショッキング。
加えてプレゼンの仕方自体もケレツのときとはちがってかなり自由度が高いではないか。
トレペを貼るだけの人もいれば、絵はがきのようなピースをきれいに並べる人や絵画みたいに完璧にレイアウトしてくる人までいる。
それがその人の人となりをかなりダイレクトに示していて、そういうところからも表現であるということを再認識。


対して自身のクリティーク。


正直なところまだまだつかみどころを心得てないのがありありというプレゼンで、自分の疑問が吹き出す機会となったという印象。
このパラッツォの、
アーバンスケールの奥行きをもったような細長いプロポーションの広場におけるその奥行きを受け止めるような建ち方と、
わずか2ベイで設計が止まってしまったことによる独特の垂直性がつくるランドマークな印象から、
''焦点''、''アイスポット''みたいなものをキーワードにいろんなスケールの奥行きをデザインのもととしながらスタディを進めたもののまだまだまだ。
コンテクストの読み取りがまだまだ引き過ぎなのが明白でヴォリュームスタディに終始、
せっかくのメルクリスタジオにも関わらずファサードからデザインするという方法とのバランスがとれていないす。
あとは根本的なことだが奥行きのある敷地でのアパートメントの設計というのに困惑。
どの住戸も広場に向かわせたいし、ファサードも空間に対応させたいし、という思いをどう納めればよいのかあたふた。勉強不足がここで響く。


とにもかくにも「いかにして新たな建物とパラッツォを統合させられるのか」ということが主題のひとつであった今日の議論。
そうしてできたヴォリュームなりファサードなりが空間におちていること、そこにいちばん興味があることを確認した12時間。


こんなん出ました。足下は好きじゃないがこういうへこみは悪くない、このかたちをエレメントによりパラーディオと統合せよというメッセージ。