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頂いた美術館を見にひとりSCHAFFHAUSENへ。 HALLEN FUR NEUE KUNST /1984
工場をリノベーションしてアートスペースのするっていうのの先駆けで、Adam CARUSOが本のなかで少し取り上げているってことくらいしか予備知識がなく行ったのだが、
これが想像以上の素晴らしい空間。


1Fでチケットを買い、4Fまでリフトで登らされて上から順に見て行くという感じなのだが、もうそのリフトのドアが4Fで開いた瞬間からいい。
床を這うCarl Andreの作品がノコギリ屋根にあけられたトップライトから落ちる光と戯れている。
この建築とアートの良好な関係を象徴するシーンだ。
元工場という限りなくニュートラルに近い空間がそれぞれの作品によってスペシフィックな空間に変容している。
いや、むしろそれらの作品がこのニュートラルな建築がもつ儚くもわずかに存在しているスペシフィックな部分を引き出すようなふるまいをしているといったほうが正しい。


「いやいや、トップライトなんていかにもスペシフィックな空間をつくる代表じゃん。」とも思われるだろうが、ここは元工場。
本来的には大空間のなかに均質に光を届けるためにそのトップライトはこの空間の中央付近にあけられている。
がこの美術館ではそれが、
時には先に述べたように地を照らすためのものとして、そして時にはある作家の連作のようなものによってリズムをもつものとしてというように、
アートとの関係のなかで言語の働きを最大限に引き出されることで初めて特別なものになっているのである。
この美術館のハイライトである、Joseph Beuysの''Das Kapital Raum 1970-77"が支配する吹き抜けの空間も、
決してもともとの空間それだけでは特別なものになりえるものではないのではないか。


それはモノ(アート)もまた空間をつくる側に参加しているということであり、つまりはその空間はひとつの空間的実践の産物であると言えよう。
"If you are really interested in seeing work of highest calibre, very well presented, then it is necessary to visit Schaffhausen" (The New York Times)


外観はまさに工場。GENEVEの美術館を思い出す。

アーティストの面々はこんな感じ。

いかすぜこの階段。

白く塗れ。

吹き抜けなんてもうなんでもない建築言語のはずだ。なのに。

裏っかわ。内部において一種の小休止をつくりだす絶妙な鈍角。