とにかく濃ゆい

LONDON建築。建てられないからこその彼らのこうした特徴はときに断片の連続でぼくらを悩ませる。

が、そう悩むことに結構魅力を感じてしまうのは彼らの建築がそのなかに大江健三郎のいうところの「文体」を持っているからではなかろうか。


 それは、端的に詩において力を発揮する。散文では文体としてあきらかになる。わが国の文学の世界ではあまりいわれぬことだが、

 ひとつの文章には声voiceがある。ある文章を読めば、それが独自の文体家のものであるかぎり、それ独自の声が響いているのを感じさせられるものだ。...

 これらの声は、書き手がそれぞれに文章レヴェルで行っている「異化」を、僕らが能動的にどうとらえているかのしるしである。

 しばしばベスト・セラー小説に見る、いかにもなめらかで情緒的に抵抗のない、そして情報伝達の能力に優れた文章。...

 しかしそういう文章を楽しんで読んだ後で、当の作家の声は、いっこうに聞こえなかったのに気がつく。そういう覚えがないだろうか?

 (大江健三郎、『新しい文学のために』より)


そういう覚えは建築にもある。

もし建築家もある文体を獲得して、そうした文体がそれぞれの断片を統合するもののひとつになりえるとしたら建築はもっと自由になれるんじゃないか。

ブリティッシュアーキテクトはそういったヒントの宝庫だ。という気がする。


RED HOUSE, William morris & Philip Webb/1859。近代建築の出発点は試行錯誤の連続。

WHITECHAPEL ART GALLERY, Charles Harrison Townsend/1901。これぞ異化。

ベンチューリも『建築の多様性と対立性』でとりあげている CHRIST CHURCH SPITALFIELDS, Nicholas Hawksmoor/1729。塔の教会。

THE VICTORIA AND ALBERT MUSEUM OF CHILDHOOD, Caruso St John/2007。今回一の楽しみのひとつ。

拡張部のエントランスに施された装飾。見事に美術館としての品を醸し出す。

そのエントランスでひととき落ち着き。

そして大きな空間へ。繊細かつ濃密な鉄骨ヴォールトが丁寧に残されている。

ピンクに塗り尽くされた鉄骨部。床まで周到にデザインしきりまくり。

最上階に登れば今度は木の床。がどこか屋根裏部屋のような雰囲気をつくる。

ロース魂の次はレヴェレンツ魂。の地下。

彼らの建築を説明する言語がまだまだ足らないす。

その後親玉のもとへ、ROBIN HOOD GARDENS, Alison and Peter Smithson/1972。夢の世界のはずの中庭がものすごく怖い。

MILLENNIUM DOME, Richard Rogers/1999。がしかしこの明快さもたまらなく好きす。