個室都市

おもしろす。終電ギリギリまで2時間も待つもその甲斐ありの30分。
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夜の池袋に2つのプレファブが雁行している。
ひとつは見知らぬ人との親密な距離感を強いられる、受付であり待合室であり作品の陳列スペースである一室空間。
そこはお互い周知の人々にとっては家のように心地よく、誰も知らないひとりにとってはそれゆえ緊張感に満ちた空気が漂ってるようで、
そこでは窓というフィジカルな要素によって例えば蛍光灯の光に誘われて寄ってくる人々に覗かれるというかたちで、西口公園という都市に結びつけられる。
もうひとつは簡素な間仕切りで仕切られ、無窓でそれぞれに間接照明のたかれた作品の鑑賞スペースである個室空間。
その空間のなかで、ジャケットの顔写真だけを頼りに選んだインタビューによる作品を見るという経験をすることになるのだが、
この経験が先の長い待ち時間によって蓄積された緊張感をパッキパキにぶち壊していくのがなんとも気持ちいい。
さっきまで同じくらいの距離にいた人が隣にいるかもしらないわずか5センチ程度の壁によるはかない断絶がその緊張感を徹底的に断ち切り、
さっきまでのエンドレスな時間から3分間隔のテンポのよいインタビューのもたらすスピーディーな時間への転移がその緊張感を瞬時に剥ぎ取って、
ぼくは今度は、ビデオの向こうの、たった3分で見事に曝け出される赤の他人の内面を通して西口公園という都市に結びつけられ、そしてにやける。
一室空間や窓による人や都市との関係の可能性よりも、それに伴う手続きをすっ飛ばしてくれる、
個室空間のテレビから流れるインタビューのもたらす人や都市に対する一方的だが直接的で確実な理解を陰湿かつ不謹慎でも信頼してしまう自分に気づき、
待合室での無表情がただの上っ面に過ぎなかったことを証明されてしまうようにぼくはにやけている。


こんな感覚にリアルに心地よくなれちゃう土壌ってんだから東京はつくづくやめらんない。


残念ながら、今日が最終夜。

この窓が中の人も外の人も演者にしてしまうように機能してるともいえる。

ツアーもおもしろかったようです。京都、ウィーンの方はぜひ。