谷川俊太郎

「私の家への道順の推敲」(『定義』1975)より。 


  地下鉄丸の内線と言えば、豊島区の池袋から南西の杉並区荻窪まで、直線距離にすればたかだか九粁ほどのところを、

  わざわざ茗荷谷御茶ノ水、東京、銀座、四谷、新宿という工合に遠廻りして走ってるので評判である。

  私の家は残念だが、その終点荻窪の一つ手前の駅、南阿佐ヶ谷に程近い。

  南阿佐ヶ谷で地上に出ると、青梅街道沿いの歩道に立つのを避ける訳にはいかない。

  そこから仮に東へ歩き始めるとすると、街道の南側には杉並郵便局、つづいて杉並警察署、北側には杉並区役所が現実に立っていて、

  その先に一軒の運動用品店が、この場合、目に入るだろうと思う。

  その角を単に右折して青梅街道と別れるのが正しい。 …


詩の前半部であるここまではきっと全く変わってないであろう風景が広がる南阿佐ヶ谷だが、

青梅街道と別れたその先のテニスコートはミニ開発によって均質で不気味な更新を遂げてしまっていて、

突き当たる住宅公団阿佐ヶ谷団地は充分過ぎるほどの緑を抱えた素晴らしい街並を残しつつも既に再開発事業が計画済みだ。

左折の目印であった電話ボックスはバス停に変わり、その先の狭隘な十字路を進んでもタバコ屋などは見つからず、

充分な敷地をもった第一世代もところどころで住宅自体は更新されてしまっている。

その先の八百屋は健在だったが、酒屋は天ぷら屋に、菓子屋はパン屋に変わっていて、歯医者は30mほど先に引っ越したのだろうか。

果物屋のあった敷地にはちょうどハウスメーカーによる住宅らしき建物が工事をしている。


突然のAA SCHOOLとのワークショップとしてこの詩の推敲の推敲を試みることになった本日であったが、

おかげで都市というものがこのようにとても細やかく柔らかに更新していて、だがそれでも確固たる現在であり30年前に対する未来であることを実感する。

こういう現在が、忘却に対しての現前ではなく反復に対しての瞬間だとは言えまいものか。


ディスイズ南阿佐ヶ谷、文豪の街。

住宅公団阿佐ヶ谷団地 ,前川國男/1958。4年程前もなくなると思ってあわてて見に行ったものだがまだ健在。豊かな緑によるこの距離感は必見す。

左が詩にある商店街があった通り、右がそれ以前に商店街だったらしい通り。どちらももう商店街とは呼べないほど閑散としてしまってるのが少し淋しい。