もちろん今日も

あいにくの雨。だが昨日に引き続き建築巡り。今日はBASEL。
SCHAULAGER がどうしても見たくなったのである。


草原のなかに建ってるような勝手な妄想とはうらはらに、トラムを下りるとお出迎え的な建ち方。
この一点透視のパースペクティヴに谷口吉生法隆寺宝物館 を重ねたりする。
入る前にぐるりと一周するが、ほぼ窓も何もなくあのもこもことした特徴的なマテリアルにくるまれた外観。
そしてもこもこと思いきやこのマテリアル、なかなか荒々しく砂利をこえて石が混ぜられてできていてかなりかっこよす。さすが。
この建築を特徴づけているもうひとつの要素である小さな家型は門の役割を果たしていて、なにかそれをくぐることで黙想モードに入るというより、
ともだちの家を訪ねるみたいな風景をつくっていて、美術館(ではないらしいが)の敷居をうまく下げているように見える。うしろ姿がどーもくんみたい。


その家型をくぐり、すこしばかりつけられた斜面を下りて中に入る。
まず、外観につけられた裂け目みたいな開口と呼応するぐおんぐおんのカッセとカフェの天井が目に入り、
右手に下の階から吹き抜けになった展示室の作品が、そして左手にそこへと向かう階段が見える。作品丸見えのあっけらかんという態度がよい。
アートのさまざまな媒体での閲覧が可能になってしまった今、お金を払った先に求められるのは
アートとの対峙という体験、そして展示空間そのものの体験というものなのだと改めて感じる。
そのためには「対峙」という字義通り、HAMBURGER BAHNHOF-MUSEUM FUR GEGENWART-BERLINで感じたアートと等価になる感覚を与えることが必要であるし
(SCHAULAGERもリニアに並んだ蛍光灯が反復する照明計画で全体が等価に明るい)、空間そのものの強度をつくり出す建築家の仕事が重要になってるんだろう。
思えば評価の分かれる青木さんの青森(ぼくはすき、すごい感動した)のとってつけた感がでている照明計画はあまりよくない気がする。
またよく、よいギャラリー空間として引き合いに出される工場という建築は、均質な光がもともと要求されてできているものである。
展示空間のつくりは仮設間仕切りで展示ができるフレキシブルな1Fと、吹き抜けの大空間ともう少し小ぶりのふたつの部屋からなるGFなのだが、
それらをつなぐ階段を上り下りする瞬間にだけ、ぎゅっとしぼられた、違う重力の次元の空間に入り込んだような感覚と出会う。
それは階段の横幅をしぼめていくという操作(ベンチューリの母の家に始まり、レムのサムソンや我が師匠の最近のプロジェクトにもみられる)や、
階段によってつくられた体の向きのままBFに入ると目に入る、反復された蛍光灯で距離感がなくなり映像化されたちら見えする2F以上のスラブの重なりと
それに縦横無尽に折り重なっていく実存スケールをもった1Fのスラブがつくる錯覚的風景によって、つくられとるんじゃなかろうか。
このきめるところだけきめてあとはおおらかに、という感じがまさに上手なキメとナリという好印象。くどくない。
このあとみたやり過ぎ感漂い過ぎでちと苦しい ST. JACOB-PARK との対極で考えられるのもよかった。
展示は ANDREA ZITTEL のがなかなか秀逸で、なんか建売住宅の宣伝ポスターみたいな感じがかなりおもしろい。展示のポスターもかなりナイス。
常設のでかいネズミ軍団にもほれる。また来ます。


その後 NOVARTIS CAMPUS へ。SANAAがどうしても見たくなったのである。
が、「入れませぇん」となぜか泣きそうな顔でいわれ即撃沈。しかたなく遠くから拝む。
天気がよくなかったせいかSANAAのはそこまで透明感も感じず、入ってみたい思いがつのる。
Markliの VISITOR CENTER もほんとにちらっとだけ見えたが、相当かっこよさそうである。なんせ金色。木の緑、そしてひろばの白と絶妙な関係。
防犯カメラ無視で柵のすきまからバシャバシャ撮る。


そんなこんななので思い切ってフランスをかすめるようにしてH&deMの PFAFFENHOLZ SPORTS CENTRE に。
日曜なせいか人っ気がなく、そして迷い、おまけにこんな簡単に国境を超えていいものかという不安でおろおろするもなんとか到着。
重々しくもシャープな庇がナイス、ブルーな色もナイスである。質量感が水平性を強調しまくってきもちよい。
アレグザンダーの言う通り手が届くほどの軒先っていうのは実にデライトフルだ。
床壁天井にぐるりとまわったテクスチャーもうまくこの「部活っ!」な感じの空間をさわやかにつくっている。
そしてその横にはなんと REHAB 。完全なるリサーチ不足で来ただけにこんなところでお目にかかれるとは状態。
これまたかなりきもちよい。
いろんな木材がいろんなかたちで使われていて、まさに同一性のなかの差異がつくる多様性が上質さをつくる。
キバリの縁側にあけられたさまざまな種類の窓がたのしい。
リハビリ施設ということで見学は要予約とのこと。写真を撮るのも控え、トイレだけ借りてまた来ると誓う。


それから街中にあるH&deM建築を数点見たあと今度はPICSASSOPLATZへと。
Markliの最新作がどうしても見たくなったのである。
青木&メルクリ展でこの建築のドローイングにいかに感動したことかしたことか。
黒いスティールの外装がミースのシーグラムばりにげきしぶい。そして三分法に則ったかのような上下でファサードをしめる。これまたしぶい。
NOVARTISでもやっている基壇を敷地のかたちに沿わせてそれより上を分棟にするシンプルな構成は
建築を大きすぎるように見せず、また全体性を保っていてよい。
大きくも小さくも、細くも太くも、薄くも厚くも、高層でも低層でもない、独特のヴォリューム感に緊張感。


完全に寒さで体力を奪われてへとへとだったが最後に SIGNAL BOX & LOCOMOTIVE DEPOT に向かう。
駅から簡単に辿り着けてしまう SIGNAL TOWER とちがい、相当へんぴなところに建っているこちらの建ち方のほうが合っている。
車庫のほうもさわやか。正方形という幾何学がかわゆさを与えている気がする。
光っているところも見たかったが誰もいない怖さのほうがつよく帰路につく。


ご近所さんちに遊びにきた家族みたいに見えなくもないSCHAULAGER。かたや頑張り過ぎなのではST. JACOB-PARK。

ヘルツォクヘルツォク。どちらものびのび。

へ...メルクリヘルツォク。メルクリの入り口がさりげなリッチでグッとくる。


※明るい空間/ぎゅっとパサージュ