発表

当日。まず先生に久々のごあいさつ。ゴム栓みたいだと突然宣告される。


それはさておき、まずは先生の傘持ちとして広島ピースセンターに行くことに。行けないと思っていたのでかなり興奮。
が、その前にまずは宿から歩いて数分の村野藤吾による 広島世界平和記念聖堂 へ。
少し道が細くなってきたと思うくらいのところにいきなりかなりでかい、そして高い教会建築が現れるのが衝撃的。
一同一見しただけで「かなりよいのでは」と声を揃える。
早く味が出るように外壁のタイルをわざとでこぼこさせたり、また日本らしさを窓のかたちや柱梁を露出させることで表現するなど、
相当のこだわりを、何の暑苦しさもなくしっとりとやってくるところがまさにセンスばりばりである。
個人的にはエントランスのロッジアの天井面の緑の彩色がかなりいけている。
運良くガイドツアーにも参加でき、中もじっくり拝見。聖堂の木の天井、そして塔を上がる階段にぐっ。
塔から眺める久々の日本の街もよい。


そしてお目当ての 広島ピースセンター へ。
中学校の修学旅行以来だが、想像以上に高いピロティと想像以上に薄い本体部分。このプロポーションは真似できん。
軸のうえに先生をはじめ、nskさん、chさんが立ち、本体底面の反りについて議論が始まり、
曲線の梁を底面に渡すことで反ってるような見えをつくり、そしてまたその梁を受けるためにコルビュジェ柱の形状が変化していることを発見。
その議論を聞きながら、こんな議論をつくれる建築ってすごいとしみじみと感動していたつもりが、
急に振り返った先生に受け口の口が開いているのを見られ「人の話を口で受けてんじゃねえ」となぜか無茶なつっこみをされてしまう。
あいかわらず楽しい研究室であるとこれまたしみじみ。


午後、ついに広島大学にて発表。
昨日の大盛況っぷりとは違い、大会ラストセッションということに加え発表者が全員つかもと研ということもあり人もまばら。
緊張したものの、6分間があっけなく終わってしまう。和やかなかんじでセッションも終了。


ここで一考。
自分の論文に関して、hyさんには「形式を形式のみで見る」と、元さかもと研のnkさんには「修辞のための修辞」とどちらも的確に批評して頂いたことがあるが、
このことばをいかに打ち破るかがぼくとnskさんの目標であると思う。
形式を形式のみで見たときの広がり、つまりは建築の建築性を捉えることの可能性はほんとうに閉じたものなのか。
スイスに来て、オーダーや古典を重要視するメルクリやコルホフ、またひたすらに空間を探求するケレツに触れ始めた今、
ぼくは建築を建築の範疇で考えていくことに実はかなりの広がりがあるのではないかと思い始めている。
屋根や窓といった自然言語、オーダーなどの古典として今もなお存在する言語のなかには、ただ現況をなぞるようなコンテクスチュアリズム以上に、
人間が生まれて以来の大きな時間軸やそれこそ人間の根源的な部分を横断することを可能にするものがあると信じている。
(註:もちろん非常にクリティカルなコンテクスチュアリズムはすばらしいと思います)
そして問題は、そこをいかに「現代的に」横断できるかということではないか。それができないことには建築の建築性なんていかにも停滞した考えになってしまう。
が、それができたときにはこれほどまでに建築的思考を発揮する近道はない。スイスでどれだけつかめるかが勝負。


そんなことを考えながら、またそんな議論ができる環境に恵まれていることを幸せに思いながら、打ち上げにて牡蠣をこれでもかと食す。
みんながこれほどまでに幸せそうな顔をして食べる食べ物もなかなかないと、牡蠣のつくる空間に感心。
生ガキ、焼きガキ、カキフライまでは制覇するも、カキ鍋には辿り着けずに終電にて帰京。
はやくも日本ラストデイ。


まさにピースフル。丹下さんも想像しなかっただろう、国際的アフォーダンス


※建築の範疇