走る

ことをついに思い立つ。
そして、「体力をつける」という理由を掲げることに決める。
よく思えば街で見かけるランナーのなかにやせるために走ってるような体型をした人を見たことがないではないか
と気づいたのら。不純はやめだ。
そもそも建築は体力勝負である。


大学1年以来のランニング。
自分の体に問いかけるという感覚が、サッカーをやっていたころを思い出してなんともなつかしい。
そもそもサッカーをやってたときも、この感覚に気づくのが少々遅かった。
「運動神経」というものはまさにこの感覚に対する神経なのでは。うまいやつほど体と向き合って考えている。
自分の動きに意識的にならねば何事もうまくならないと、サッカーでもピアノでもあとあと気づかされたものである。


1本の線を引くのにも意識的にならねばならないと、走りながら悟る。