英語プレゼ。アシスタントとのフランクなTISCHKRITIK(テーブルエスキス)だがかなり緊張。


案の定英語はかなりぼろぼろだったが、3つ出したコンセプトのうちのいちばんのお気に入りをちゃんと理解してもらえたようで一安心。
そいつのコンセプトは ''9 columns, 9stories.''、改め ''16 columns, 16 stories.''。
16階建ての建物が16本の柱を持つという、至極当たり前のようなコンセプトだが、重要なのはスラブ1枚に対し1本の柱ということ。
つまりは最上階には1本の柱しか現れない。一方、GL階では16本の柱は落ちているが実際に支えているのはそのうちの1本。あとはフェイク。
今週がっと模型をつくるので詳細は追って。


が、エスキスのプロセスとそれを伝える方法がよいと誉められたのがうれしい。
ぼくは基本的にこういう課題では先手必勝型、開始早々にやりたいイメージができてあとはそれを動かしているあいだに時間が来て終わるタイプ。
悪くいえばなかなか案を動かせないで、部分的な変化しか大して生まれないタイプである。つまりはエスキス下手。(つまりは初期イメージは割に良好、なんつて)。
しかし研究室に入り、また卒制を乗り越え、そして超巨大都市計画プロジェクトをも乗り越えたことで、少しは方法の幅が広がっていると感じる今日この頃。
おそらくhyさんの影響が色濃いが、重要なのはとにかくやり方を変えるということである。
自分の好きな建築のイメージみたいなものは、実は建築を始める前から染み付いてきた個人的嗜好(例えば路地ばかとか工場萌えとか家型好きとか)のおかげで
よくも悪くもきっと何年経っても対して変わらないが、同じことを考えていてもやり方を変えるだけでがらりとあたかも別のもののようにできるのである。
それは、プランからセクションに、というような建築の書き方や、スケッチから模型に、はたまた3Dに、というようなツールの変更でももちろん可能だが、
それぞれのなかでも、例えば鉛筆からマッキーに、スタイロから石こうに、VECTORWORKSからRHINOに、とモノを変えるだけでもがらりと変わる。
模型というものは特に顕著で、材料を変えればできたことができなくなったりというのが如実に現れるから、
考えていることはいっしょでもつくり方が全く変わってくる、だからそのつくり方から考えねばという、まさに建築に直結するような感覚を得ることができる気がする。
これに気づいたのは卒制のスタディ
よくも分からずスリバチ状の空間をスタイロを掘ったり、スチペを重ねたり、棒状のものを束ねたり、わっかを幾層もぐるぐるしたりと、
いろいろな方法を無意識にも試していたなかで(実際はただつくり方が分からなかっただけ)、その方法を誉めてくれた先輩がいたおかげである。感謝感謝。


ひっくるめると、要は問題は藤岡大先生の言う通り「どうであるか」ではなく「どう見えるか」であり、
何かを考え始めたばかりの稚拙な空論なんかより、色々やってみて新しい「見え」を見つけた瞬間のブレイクスルーのほうが重要であるということである。
ちなみにこの「どうであるかではなくどう見えるか」理論は、人間関係を考える上でも非常に大きなブレイクスルーをぼくに与えてくれている。しかも本日。
加えて、ツカモト師直伝の、「トレペはちゃんとコピー用紙の規格サイズに切って本にできるくらいにきれいに重ねてくんだよ!」理論も非常に有効。
このようにすることで、あたかも非線形的なデザインのプロセスが線形的に進んでいるかのような感覚を気軽に得ることができる。
つまりは、これまで考えたことを何らとりこぼしていないような、そんな感覚。また、1枚1枚のトレペに対する集中力も上がる。


さてプレゼの話に引き戻すと、英語でプレゼするということのおかげで気づいたのが、''I can get...''と言いまくっているということ。
つまり、ぼくは自らの考えた形式やコンセプトに、ある特別な空間をつくる可能性みたいなものを探しているということである。
そしてそうした可能性によってつくられた空間は、あたかも発見されたもののようにぼくは扱いたいという、スタンスの表明でもある。
この空間を見つける感覚を教えてくれたのは偉大なる教育者奥山氏の、ぼくの美術館課題の講評にて言い放った「これって空間がないんじゃないの?」発言。
同じような均質な空間を考えるなかでも、それなりの思考の厚みを持って考えられるようになってきているとは思います。


さてさてエスキス終了後、ETHにて開催のヴァレリオ・オルジアティによる展覧会のオープニングに。
彼自身はしゃべらなかったがものすごい人だかりで売れっ子っぷりが分かる。
そして巨匠マリオ・ボッタによるフランス語での紹介。勉強不足で生きているとは知りませんでした、すみません。
これくらいの巨匠たちをコンスタントに見ることのできるETHの環境にはつくづく脱帽させられる。そして刺激的。
展覧会も大盛況、ほしかったあわせて発表の分厚い、真っ白な作品集も完売御礼で残念ながらゲットできず。
じっくり見たいのでまた来ます。


all of the columns do ''NOT'' sustain the upper slab.