はやくも

最終日。刺激的な日々とも今日でひとまずお別れ。14:00までのフリータイムをいかに楽しむか。


ということでまずはまだざっとしか経験していない GRAND BAZAAR を満喫することにする。
というかみんなそういう魂胆のようで自由行動であるはずが知った顔がちらほら。
昨日のEGYPTIAN BAZAARがアメ横ならこちらは何か巨大商店街的。
が、屋根が半透明のチープな感じのものじゃなくて力強いヴォールト、というところが日本のそれとは決定的に違う。
ささやかな構えとは対照的にその空間たるや堂々としたもので、観光客目当ての膨大な量の土産物を有して余りあるキャパ。
地形あり、複雑な分かれ道ありに加え、アーチがこれでもかと折り重なることで完全に迷える空間。そのなかの飛び交う怪しい日本語、韓国語、中国語。
そんな不安感すら誘う空間のなか、いっしょに買い物をしてた大陸の方々のそこまでするかという値引き根性がすごい。
そこまでしなくてもと思う日本人のぼくはきっと代表的なカモなんだろうと感じてしまうほど。
それでも負けじと値引きにチャレンジしてスカーフをゲット。よしよし。
怪しいけど、いろんな言語を積極的に吸収しようとするバザールの若者を少し尊敬もしてしまう。


思いのほか時間を使いすぎてしまったか、もうあと1スポット的な感じになってしまったので、
kさんとフロリアンの「とにかくモスクを見まくる」というアドバイスをもとに YENI CAMII(「新モスク」の意) へと急ぐ。
EGYPTIAN BAZAAR近くの、膨大な量の鳩が群がっていて気になっていたモスクを見ることで、
kさんが言っていた「プロポーションの違い」なるものを比較検討するということが目的である。
これまで見たモスクに比べて小ぶりなのか、どこかキュッとしていて、ドームのライズも高いという印象。そう、コンパクトなのに高い。
そのわりにはミナレットが短くて、確かにこいつは外観はちょっと整ってないのかなという感じにも見えてくる。
そんな思いを抱きつつ、鳩をよけながら中へ進む。
BLUE MOSQUEに比べれば全然小さな中庭。が、古びた印象がなかなかよい雰囲気をつくっている。さすが「新」といっても400年前。
市場や鳩の群れのうるさい感じがピシャッと切り替わるのもよい。
その中庭の半面ほどが絨毯干しに占拠されていて、モスク特有の観光地っぽさもうまく消されている。
さて時間もないのでさらに内部に進む。そして広がるお決まりのドーム空間。
これがよい。
外観ではあまりいいイメージを持てなかったライズの高いドームが、内部では幾分垂直性を強調し上にすっと伸びるような感覚をつくっていて、
モスク特有の、少しばかりだらんとした印象がなくなっている。
これまで見た大モスクが包容力を持つとすれば、こちらはより親密感を感じさせるような空間。
来てよかったと素直に思う。


あとはひたすら帰り道を急ぐ。
どこを歩いたのかあまり記憶してないが、旧市街は何か「良き意味でのチープな竹下通り」といった感じで印象深いシーンが次々と広がる。
突如現れるモスクだったらしき遺構も迫力抜群である。
そんなシーンを断片的に記憶しタイムリミット、ホテル集合。
ホテル前では地元の方々が絨毯を広げお祈りタイム。最後のトルコ的風景。


帰りの飛行機では見事な雲海。
パラパラと読むイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』がものすごい実感を持って伝わってくるのがよい旅をした証拠か。
着いたら着いたでマイメッセンジャーバッグが空港のバゲージクレームの入り口で詰まり、あの動く歩道みたいなやつに乗っちゃう夢のダイハード的体験。


最後の最後まで楽しませてくれたこの旅の機会をくれた全ての人に感謝。明日から即フィードバックの日々。


GRAND BAZAAR。似たようなお店がひたすら並ぶのがソウルで行った東大門市場に似ている。

スカーフを買ったお店。似通った店のなかでもグッチョイしたはずのオレ。

YENI CAMIIの異常な量の鳩の群がりはこの方々のせい。鋭い目でとうもろこしを差し出す老婆。怖くて買えません。

YENI CAMIIをBLUE MOSQUEと同じ角度から。比較比較。よく見ると日本武尊みたいにも見える。

敷き詰められる絨毯。モスクの昼下がりを体験した気分。

祈り中の人が多い。祈る先に偶像がないのがブッダなぼくには不思議。その代わりが「窓」という建築の要素なのがおもしろい。

(おそらく)旧市街。空中に浮かぶドレスがなんとも。新市街同様こちらも坂が街の表情をつくる。

いきなりどどーん。へっこみはお祈りの場所などになる大切な建築の要素。

ラストシーンの雲海。「シュネーシュネー!」と興奮するスイス人たちも10分も絶たずうちにぐっすり。