篠原一男から数学「的」思考

へと変化しつつあるマイネンSCHALENBAU。
数学が全然苦手なのでほんとに数学的かどうかは知る術もありませんが、
柱を16本から3本に減らしてみたところ、数列みたいに自動的に11階建ての建物が積み上がってしまった。
これって数学?それともアルゴリズム
よく分からないがとにかくこのNO敷地、NO詳細な制約(プログラム的な)なケレツスタジオという独特の環境の中で、
オフィスビルというプログラムとシェル構造という2つのことだけからカタチをつくろうとしていたぼくとしてはなかなかにおもしろいプロセス。
つくる建築で、課題の出し方にすらクリティカルな批評を提示してこそマスターとしていまだに課題をやる価値があるんじゃなかろうかなんつー思い。
16本のときよりもさらに恣意性がなくなってきていて、複雑になったのに限りなく純粋にぼくには見える。
とにかくこんなふうに建築がたちあがるのは全体形を最後までつくらず部分から設計しがちなぼくには初めて。


そのことをアシスタントのスザンヌに熱弁するもなかなか理解してもらえず。
だが、ぼくにとってこの超図式的に建ち上がった模型(の全体形)には実はもうあまり興味がなくて(そもそも全体を決める制約がなさすぎる)、
ここからまさに青木さんの言う通りいかに図式を壊し、いかに空間を見つけ出していくかということが重要なのだ。
ここまではただ仮説をひたすら運用してゲームを展開させていたにすぎない。そのゲームの強度がかなり整ったことが現段階。
これであとはこの模型を建築に引き寄せていくことに集中できる。
自動的に建ち上がったときの興奮は、つまりはおもしろい場所を見つけるための自然みたいなものを発見したからなのである。
ぼくの手にはほとんどかかってないから、ぼくにとって今目の前にあるこの模型はまさに自然と同等。ある意味での諸制約。
その楽しみがぼくにはもう想像できていたので、スザンヌとの会話もひたすら平行線。
でも英語でこれだけの議論ができるようになったのはセミナー旅行の外国語漬けのおかげと少し自信がつく。


リベンジなるか、2週間後のケレツ。


できたーの瞬間。模型はきれいにつくったほうが早いってことに気づく。おそい。


※数学と自然