英語

と日本語の構造の違いが日本人にとってネックであるのは有名な話だが、
それが動詞の位置に関する問題だけではないということに幾度となく気づく今日このごろ。


例えばよく間違うのが''~like this''。
プレゼでよく模型を差しながら''このような空間''という感じに言いたくてよく使うのだが、これがしばしば''this like, umm... space''とかむちゃくちゃなことになっている。
言いながらumm...という間違えたことに気づく瞬間まであるからプレゼンテーション滞りまくり。
動詞、そしてこうしたより細分化された日本語との逆転が連続する英語というのはつくづく日本人にとってはこれまでの人生を否定されたかのようにときに屈辱的。
というのは言い過ぎですが、この根っこの部分を乗り越えるのがいちばん大切なのでありましょう。


こんなことを書くのも、今日のTISCHKRITIKの際何度も話の腰を折られて1時間半もやったうえに、日本人は何を考えているのか読み取りにくいわなんて言われたから。
いやいや、ただ頭の中で逆再生的に流れる異言語の理解および再構成に手間取っているだけなのですよ。


その点ドイツ語の助動詞が絡む文章は最高です。ミュヒテとか、マジ最高。
加えてよく話題に上がる''シャ伊セ''もしくは''ファッ幾ン''に相当する日本語に対しこれまで''クソっ''なんじゃないかと答えてきた私でありますが、
''畜生''って方がいい気がして参りました。
なんか特に、シャ伊セ連発のスイスもしくはドイツ人女性が使ってもかわいくなりそうな感じが。


ということで明日からは加ッツォの国、初イタリー。


趣向を変えて。いわゆるデジタルな等高線化。