一変

今日はクラシックにいきます。というかベタベタ観光で都市を感じる。
建築と都市、その両者を常に架橋してこそ建築は語る意義があるのだ。なんて常套を再確認。


でもそこはイタリア、観光ってったって名建築ばかりにぶち当たってしまう。
そんな1発目はユースから船でほど近い、ムツロウ曰くnskさんお薦めの、 CHURCH OF SAN GIORGIO MAGGIORE へ。
島がひとつ教会のためにあるかのような、そんな贅沢な建ち方がVENEZIAならでは。
『建築四書』でも有名な巨匠パラーディオの代表作のひとつである。
藤岡先生の授業でその名前や功績を聞いたときはなんとなくすごい人なんだろうなというくらいにしか感じなかったが、
ヨーロッパの街に住み始めその土地に根付く建築に直接触れるようになった今はやっと、彼の編み出した手法の偉大さを少しばかり実感できる。
有名なジャイアントオーダーだけでなく、そこかしこに散りばめられた古典建築言語の再構成による新たな建築の要素がファサードに凝縮。
過去から未来をつくり出したまさにオリジナリティの精神そのものである。
朝方ということで中に人気はなく静かななかで空間を存分に体験できる。
非常に神聖なのではあるが、教会特有の見も縮む堅苦しさとか精神性を突き詰めるゆえの暑苦しさが全くない、どこか現代的な質を持つ空間。
それが何ゆえなのかはうまく捉えることはできなかったが、その要因のひとつであろう明るい光を届けている窓が奥に行くにつれてだんだんと大きくなることで、
ヴォールトの天井を、幾何学的でありつつも有機的に、その中へとだんだんとうずまっていくように欠き取っていくようになっている。
それは微妙な差ではあれどそれでもやはり奥にハイライトをつくっていて、それが何とも優しい空間を浮かび上がらせていた。


さて、その聖堂を後ろ目にしながら今度はVENEZIAの中心、 PIAZZA SAN MARCO へ。まずはその入り口、 PLAZZO DUCALE を拝見。
ファサードからまさに豪華絢爛。
さまざまなモチーフ、ピンクのタイル、そして二層ロッジアで持ち上げられたマッスのプロポーションが、どこかかわいさも演出している。
雨樋までも見事にデザインされた完璧なファサードと言っていいんじゃないか。なんかその完璧さが時代なんてものを超越している。思えばDUOMOもそんなだった。
中に入るとまず、これは薄すぎるんじゃないかと思うくらいのライズのヴォールト空間。
そしてそれらがどんな理由か、天井で調停を起こし合っている。
一見して美しくない、これまで見てきたアーチやヴォールトがつくる幾何学的な美とはどこか違う魅力を持っている。洪水でゆがんだという床ともよい関係。
中庭まで出ると顔の違う立面が対立し合っていて、しかも隣のドームまで顔を覗かせていて、コンプレックスであることが一目で分かる。
そして今度は向かいのヴォリュームの内部へ。これがまた豪華絢爛、キンピカである。
小さな部屋からだんだんと大きくなっていくようになっており、平面図が断面図のようにも見える不思議なプランニング。
ここか、いやここか、というふうに何度もクライマックスらしきでかい空間を浴びせられる。そしてそのでかい空間を埋め尽くす無数の装飾。
出口では、今度は海に対して垂直に長いロッジアが走り、広大な海を点として演出する。


次は広場の一画に構える骨董屋へ行く。(もと)OLIVETTI SHOWROOMカルロ・スカルパ
いろいろと寄り道をしているものの今回の旅のテーマはいちおう''ビエンナーレ&スカルパしばり''。
knzさん曰く、いろいろ見ちゃうより建築家でしばったほうがその人のことが見えてくるということもあり、その実践。
スカルパに対する無知を書ではなく旅によりカバー。留学生ならではの方法で、感覚から鍛えていく。
まず目がいったのは、エントランス周りに散りばめられたいろいろなエレメント。
ゴールドの看板的なもの、格子状のシャッター的なもの、そしてそのシャッターの、ナイスないやらしさがかかったレール。
この看板的なものがこれまたムツロウ曰くOLVETTI社のマークらしいのだが、
これがなにか''くっついるようでくっついてないがやはりくっついてる''という、回りくどいおもしろさを持っていて妙にそそられる。
調べてみると同社のデザイナー、マルチェロ・ニッツォーリという人がデザインしたようでスカルパ作ではないのだが、
そのマークがそれより少しばかり大きな四角いくぼみのなかに納められることで、そのくっついてるのだかいないのかな印象が引き出されている。
うまく表現できないものの、今後スカルパを理解していく上で鍵となる、重要な要素であったとあとで気づく。
そしてドアをオープン。にくい開き方。と同時にぼくのなかでスカルパが徐々に解けていくような感覚。
入るとすぐ、まずは低く抑えられた天井が小さなインテリアの一番奥深くまで続くのを''体感''する。まさに''感じる''というほどの低い天井である。
だがその天井は幅が2Mくらいしかなく、横から落ちてくる光や空間が広がってそうな''感じ''で、同時に二層吹き抜けの空間もまた体験せずとも''想像''させてくれる。
ユーグリッドの原点に立ってるような、この感じ。
これだけ小さな空間の最大の奥行きと高さを同時に感じることができること、これぞスケールのなせる業である。
小ささの容積を最大限見せるのではなく、奥と高さという方向性のある量を最大限に見せる、ああこれまたにくい。
その水平方向の誘いにのるように奥へ進まされてしまう感じが商業空間としてもグッドなんだろう。
その奥行きを体験し、回れ右で戻ってくると今度は2つの大きな窓に面した、いわゆるショーウィンドウ空間に迎えられる。
明るく、そしてやはり実際に吹き抜けだった空間が、先の細長く小さな奥の空間との対比でものすごく広く開放的に感じる。なんて素敵な空間のストーリーなんだ。
これだけのストーリーを1枚の天井に込められるってことにさらに感心してしまう。
その、このインテリアの中で最も大きい空間でぽかぽかと暖まりながら再度振り向くと、次に見えるのは2階へとつづく階段。
これが自称階段フェチのぼくにはたまらなく衝撃的。
それは、何枚もの薄い板が、自由奔放に大きさを変え横に行ったり来たりしながら、ときにはキャッシャーの一部みたいなところもつくりつつ積み上げられているといったつくり。
積み上げられている、なんてのは間違った言い方かもしれなくて、
なにかもう階段というエレメントが溶解して、実際の見えの体験としてはただ小さなンスラブが段違いにあるだけに感じる。
階段という建築言語が、ギリギリその機能を残しながら全く別の意味を誘発するものに改められているそのさまは、
まさに現代において習慣的な要素というものをいかに使うことができるかということの素晴らしき見本。
残念ながら2階は立ち入り禁止で見れるのはここまでだったが、このわずか15mも歩いていないだろう空間で異常なまでの濃密な思考を誘発させられる。
これがスカルパか。
床の赤と黄色のタイルがむちゃくちゃかわいかったのも忘れてはならない。


ネクスト、 BASILLICA DI SAN MARCO 。
広場を行き来する中で目に入っていたが、先のPLAZZO DUCALEとは対照的にこれがくどい、というかくどすぎるだろ、という最高のファサード
世界一美しいと言われるこの広場に面する建築はどれも想像以上にくどくて強いものばかりで統一感もなく、そこがいい感じに期待を裏切ってくれている。
処刑台だったという今国旗をかざしてる2本の棒なんかがバシリカの対称性なんかもむちゃくちゃにしていて、ほんとむちゃくちゃ。
そんなファサードは思考が停止してしまうほどの過剰さなので割愛、荷物を預け中へと進む。
と、おおこれはイスタンブールで体験したあの空間ではないかと、まずはHAGIASOPHIAを思い出す。
恥ずかしくも空間で様式というものを初めて気づけた瞬間かもしれない。
がやはり違いもあり、こちらほうが天高の高い単一のドーム空間がポンポンポンと並び、より方向性が強いものをなっているのが特徴的。
その脇を走る細い廊空間もベリーグー。
一通り内陣を見たところで馬の像が置かれたテラスへ行くとこれまたバッチグー。L字をした広場の小さなほうと大きなほうが一望できる。
日陰に全然人がいない一方で、日向には人がたくさん群がって、オープンカフェまで出ていて、人間も動物なんだなと妙な納得。
向かいにある鐘楼にものぼり、また別の視点でVENEZIAを眺める。


その後遅めのランチタイム。
「小魚と貝」というテーマをもって挑むものの、ここがなかなかまったりしたレストランで想像以上に時間をくってしまう。だがおいしかったのでそこはご愛嬌。
早くも日が落ち始めた気がする午後3時、迷ったあげくに BURANO を選択。


これがなかなかにグッチョイ
まず、本島から40分くらいのところの島なので、とりあえず水上バス乗り場を目指すのだが、
これがVENEZIAを縦断するように歩かなければならないので、もうひたすらこの街のおもしろさを堪能できる。
自動車禁止も納得の小路が本当にすさまじい細さで、家々の壁を触れるように歩いてるみたいなものだから、もうまさに肌でヴァナキュラー建築体感。
昨日の雨樋ではないが、ここまで建築に寄ると見えてくるものも全然違ってくる。
そして船に乗れば今度は美しい夕日。
せっかくのカラフルな街に行くにはもったいないと思いつつも、この旅始まって以来の好天がうれしい。
そしてそして到着すれば、想像以上にカラフルで興奮要素満載の街並。
言語的接続をした建築たちが空間的にも接続すればそれはいい街並ができるのかと、当たり前のようなことに感心してしまう。
それほどまでに建築言語は統一されていて、白い窓枠や軒、オーニング、また外形に現れた暖炉のかたちとその先の煙突などがしっかりと街並を締める。
それではおまえはなんなのか、と思うくらいに色というものは自由気ままにふるまっていて、1色で塗りたくられた家もあればきれいに2色で線引きされたものもあって本当にさまざま。
家と家のあいだをはしる雨樋が途中までは片方の家の色なのに突然もう片方の家の色に切り替わってたりして、
強いて言えばなにか所有権を示すようなものとして働いていた気もする。急に浮かび上がる制度的問題。
というかこれは話が転倒していて、きっと同じ建築言語を使う術しか持ってなかったっていう制約が先にあって、
色で所有を主張したことで制度的問題が街並として浮かび上がったと言うべきか。ぐるぐる、ループループ。


本島に帰ってくるころにはもう真っ暗だったが、「行かないで後悔するより行って後悔したほうがいい」という合言葉により、UNIVERSITA CA FOSCARI VENEZIA へ。再度スカルパ。
もう一目見ただけで分かるようになってきた神殿チックなんだけど機械チックな面も併せ持つその独特な雰囲気。
どちらのチックにも共通するのが''仰々しくもある原理を貫いてる雰囲気を持っている''ということだ。ということでグッドな関係性。
その雰囲気はいつも開口部に凝縮されていて、今回はそれこそ門の設計ということで非常にスカルパ濃度が濃ゆい。
重々しい1枚の石の扉と、その開閉を可能にするスペシャリティ満載のスティールのサッシュ(といっていいのか)。
このへんで階段状のエレメントがスカルパらしさをつくるものとして認識できてくるようにもなる。
微妙に門が開いていたので運良くなかにも侵入。庭もまたスカルパ設計。
石でできた池、その付近に点在するこれまた石のベンチなどなど、計算された配置は枯山水のごとき雰囲気。
門の裏側は上れるくらいの坂になっていて外の人に気づかれないようにおそるおそる上ると、菅谷が門についてる重々しい庇が実は浮いてることを発見。
叫べはしないものの心の中では大興奮。つかんできたぞスカルパー。


最後にカラトラヴァの橋を渡ってVENEZIAの旅を締める。
橋自体は非常に危なっかしくてどうかと思ったが根本周りのベンチの感じが割に好き。
さらになんと昨日見た使徒の正体はこの橋の構造体だったことがのちに判明。構造体までも使徒かよカラトラヴァ。


夜の電車でTOREVISO着。B&Bの宿が非常にきれい。てかB&Bって素敵です。


まずはパラーディオ。もっとあなたを知りたくなりました。アーチの次はこの三角形なのでは。

写真で見ると、モチーフ、それの落とす影、また特徴的なタイルの模様がかなりデジタルに見える。シグナルボックス並みのフレッシュさ。

鐘楼よりPLAZZO DUCALE、BASILLICA DI SAN MARCO、そして街を望む。もう言うこと無し。ただ気持ち寒すぎる。

天気がよくなってくると気になる、ということで影シリーズ第2弾。その1、影は海へは行きたがらない。

その2。人間だもの、暖かいのがお好き。見えない壁がある瞬間。

その3。透けるものは透ける。どこを撮っても絵になるVENEZIAの街。

OLIVETTIのマーク。絶妙なトメ。それがつくる絶妙な奥行きの重層。

BURANOその1。こんなにもカラフル。船はもちろん一家に1台。

あまりによかったのでもう1枚。カラフルな家並みのあいだでとろけ合う海の青、夕日のオレンジ、そして空の青。

旅の締めには、と言ってしまいたくなるくらいの完璧な夕日。実際はオレンジを超えてすでに赤。