なでるような

シャワーでいつもにも増して長い風呂になってしまったPORTO2日目。
今日はついに完全にシザしばり。まずは IGREJA DE MARCO DE CANAVESES 、例の白い教会を見に行く。


丘の上に建っており、細い坂道をのぼりながらのアプローチ。
それがパッとひらけて、あのへこんだ構えとその隣にこれまたシザが設計したであろう事務棟+レストランのような建物がお目見え。
あいかわらずのポルトガルの太陽を浴びてまぶしいほど真っ白。
が、近づいてみるとこれが想像以上に傷みが激しい。と思いきやあとで調べてみれば40年以上も前に建ったものではないか。
そんな時代錯誤的勘違いを起こしてしまうくらい現代的で永遠的なヴォリュームだ。
そんな周りをまずはぐるぐる。
すると、基本的には箱のようなヴォリュームにアクセントを加える曲線が顔を出す。これがなんとも教会らしく見える。
思えば最初に見た構えにおけるへこみがつくる縦に3分割された立面は教会建築のまさに身廊と側廊を、
そしてその反対側にあるこの曲線のでっぱりは身廊のどんつきを表現してるように見えなくもない。というかきっとそうだ。だから教会に見えるんだ。
かなりその構成の抽象度は上がっているにも関わらず、である。
あともうひとつ気づくのは窓の少なさ、そして小ささ。
それが異様な外観をつくっていて、ますます抽象度はあがっている。
そしてそして最初に出会ったへっこみの部分へ戻ってくる。完全なるシザ言語。
右に上がる太陽に対し、右側のヴォリュームがつくる影と、左側のガラスがつくる淡い光がきれいにクロス、ズキューン。
白い面にいろいろな濃度の黒が、絵の具では絶対表現できないテクスチャーで重なり合っている。絶妙。


そして中。五反田の住宅トビラは開けてもらえず横から。
これが、信じられないくらい明るい。窓、あれだけしかなかったじゃん、なのにである。
最も効いているのは左側の壁に細く走る水平連窓。これがむちゃくちゃに明るい。
コルビュジェが何でこれを主張したのかが分かる。横に長いだけで空間全体にまで光が行き届く。
そして上からも光。今度はシェル面の壁上部に開けられた窓から、廊下という緩衝を挟んでの柔らかい光。
窓はほとんど見えず、廊下分2Mくらいの分厚い窓枠に反射した光がつくる白の濃淡だけで明るさが演出される。先の強い光と対。
そして中央。四角く切り取られた小さなふたつの開口がぼうっと明るむ。
十字架でもキリストでもなく、壁と壁のあいだを伝って降りてきたグラデーションのかかる青みがかったグレーがこの教会の焦点。
さっき外で見た窓がこの光をつくってたんだと思うと足下ガックガク。
この空間で主役である3つの曲面はなんというかそのままの分厚さをもったみたいに見えて、ふわふわしていて柔らかく、全然堅さが感じられず重くもない。
どうやったらこんなもんが出てくるんだろうか。
その後ろではとりわけ光り輝く、あの皆様が手を清めるところ。シザの絵と反射して十字を切る光。
また地下のチャペルではあのシザの抑えがところどころに効いたより緊張感のある空間の中で、ここでもまた厚みをもった窓のようなものが神がかった光を演出。


いいもの見たあとはいい食事。看板のないレストランを見つけ入店。
krさんの「お昼とかはスープ食べなさいよ!」ということばに期待を募らせ食べたスープが期待以上。そして格安0.5ユーロ。
スイスでは考えられないコストパフォーマンスに幸せな気分で今度はLECAへ。


日が落ちかけてきた気持ちいい海辺をタクシーでびゅーん。ここにシザの処女作 CASA DE CHA DA BOA NOVA がある。
半世紀も前、20代後半のころ彼がつくり上げたレストラン(ティーハウス)。にして、の衝撃が5秒後に走る。


まずは背中。というか海に突き出したこの建築は背中しか見えない。
そんな背中をぱっと見た瞬間、ぼくの脳裏にはコルビュジェ先生がよみがえる。しかも晩年。ロンシャンであり、ラトゥーレットだ。
反ったような独特の曲線、末広がりのヴォリューム、そしてすっとのびたかまぼこ状の塔屋のようなもの。
それらが自由に配列されているそのさまが、ぼくをそんな思いにさせたのだ。
それがどういう意味を持つのかは分からないけど、彼のモダニズムに対する真摯な思いと、何より美しさをはやくも感じてしまう。
しかも、これはレストランなんだ。なのに、もういったいなんなんだ。
近づいていくと、今度は部材が以上にでかい。軒も、雨樋も見たことがないでかさだ。
そのでかさが、非常にヴァナキュラーな建築のように、というか素人の仕事のようにこの建築を見せているようにも思う。
何か縄文杉みたいな、歴史を持った巨木に触れているような、そういう大きさ。
腰よりも低い屋根の上でそんな世界が広がる。


そして中。
独特の木の組み方でものすごくかわいい(なんて言っちゃってすみません)空間。
細やかに編まれたような木の表情がとても豊かだ。まるで木のピースが屋根から雫みたいに落ちてくるみたいだ。
昨日の美術館以上に矩形の部屋がほとんどなくて、勾配屋根なことも加えて1歩1歩進むたびに情景がかわっていく。
傾斜地と偏心切妻屋根とのあいだにできた不均質な空間のなかに、
エントランス、トイレ、バー、キッチン、カフェ、レストランが何気なくも完璧に分割されている。
おじゃましたカフェは海を見渡す細い水平連窓に向かうように壁も天井もほとんどが茶色で、差し込むポルトガルの強い日差しとのあいだに強いコントラストをつくり、
川西町のコテージみたいな感じに外に広がる絶景を主張する。
この水平連窓がkrさん曰く下に引っ込むようにできていて、夏とか全開すればほんとうに気持ちいいらしい。
その窓から見える軒裏も、折れ屋根であることでできるのか先の天井とは違った木のでこぼこした表情。構法を楽しんでいるようでもある。
外観がコルビュジェなら中はまさにライトのようか。
いわゆるモダニズムのフォロワーとしての決別のきっかけをつくった作品でもあるんだろう。坂本先生の散田であり、コルビュジェのファレ邸であり。
この水平連窓だけでなく屋根と縁を切るようにほぼ部屋一周ぐるりと窓がまわされていて、大きな屋根の抑えがききつつも軽い空間。
そこで頂くお茶とケーキがうまいんだこれ。
テラスにも出してもらうと、かたちは違えどやはりシザは軒なんだなという、またも抑えられる気持ちよさ。
体ここにあれどそれより少しばかし大きなぼくの領域みたいなものはもう海に投げ出されてしまっている。
よく見ればハンパない軒の出で、先の軒裏の意匠に構造的な美も認識。
軒裏を半分隠した部分と露出させた部分の共存がモダニズムと地域を行き来し、宙ぶらりんにされたままの意味。
シザの作品は、1つの作品の中でも、また作品と作品の中でも、常にこのあいだを行き来しているように思う。
その意味でもうとっくにモダニズムを超えてしまった人なのかもしれない。


彼の作品で最も有名であろう PISCINAS DE MARES,LECA DA PALMEIRA 、レサのプールは残念ながら冬のせいか閉鎖中で遠巻きにしか見れず。
レストラン同様、海辺に埋没するような建ち方ではあるも、幾何学がでてきたりマテリアルも含めソリッドな感じがでてきていたりで、
レストランからの大きな飛び感が見られる。
そもそも海岸にプールがあるということがどんな契機で出てきたのかも気になるところだ。
そんなことも含め、ぜひ開いているときにまた訪れたいもの。


日も暮れたころPORTOに戻り、ドウロ川をトラムで渡って夜景。
LISBON同様坂の多い街ならではの、傾斜地に住宅が張りついたような風景が圧巻である。
そしてむちゃくちゃな高さの橋々。やはり地形がある街はおもろ。


その後夕食にイベリコ豚を探すもなかなか見つからない。が、イベリコ豚と言い聞かせて食べたハムがふつうにうまいやんか。


教会をアプローチから。かなりミニマル。でももうぼくには教会にしか見えない。

この背中がそうさせる。象徴的です。

戻ってへこみを見上げる。光のダイアゴナルラン

中では今度は3つの異なる光。差し込むもの、たまるもの、そして降りてくるもの。

水平連窓が異常なほど明るい。ポルトガルと日本ではもう太陽の質が違う。

そして上ではたまってぼやけた光がやわらかい余剰をつくる。

振り返れば巨大な扉。曲面壁の見え方も少し違う。そして4つ目の光。

そこは大きな窓からの直接光でこの空間のハイライトとなっている場所。水とタイルとがキラキラ。

見上げれば光の十字架。

下のチャペルはこんな感じ。上の1/4円の曲面がそのまま現れてくる。

光の先に進むと、上で見た光の正体が。外でしか出会わない窓と中でしか出会わない窓。

もう何種類の光がここにはあるんだ。ついに踊る。

krご推薦''今日のスープ''。とろとろとした、どこか味噌汁にも煮たかぶのスープ。たまらない優しさ。

テーブルクロスにそのまま書かれるお勘定。ビールが1ユーロの世界。

ティーハウスの背中。処女作にしてこの哀愁はずるいだろう。

まず迎え入れてくれるのはこのトップライト。

そしてカフェの水平連窓。コントラスト激しくてぼくでは何も写せないです。

カフェ全体はこのように。上と下の重々しい色ではさまれて、真ん中には空気だけがあるような。

この空間ならそらケーキも輝く。

反対側のレストラン。こちらは大開口。コルビュジェとミース、ですか。

ちょいちょいでっぱってくる組み物の感じ。屋根の折れを内部でいかにデザインするか。

ボアビスタ。言うことなし。

軒裏と岩肌。まさに埋もれるように建っている。

海に面した立面を拝むことに成功。贅沢すぎる敷地。

よく思えば初大西洋。さすがに安宅の海とは違うね。

続いてレサのプール。警備員がごろごろ。釣りしてるくらいならいれてくれればいいのに。

垣間見えるプール。漂白される岩肌。どこからどこがシザなんだ。

今日のディナー。これは間違いなくイベリコ豚だ。きっとそうに違いない。