ホテルから5分

のところにある CASAS SOCIAIS SAAL,BOUCA II から始まるPORTO3日目。
もちろんシザ。1997年の集合住宅、確かエルクロの1発目。


もしカサダムジカを眺められる坂を下りてきたとするならばこの建築は、最初に出会うところが最も濃ゆいことになっている。
お相手は坂を下り右手にふっと視界が抜けると見える階段室である。
三角形の敷地に対してとられた軸線に並ぶ細長いヴォリュームと、通りの構えの反復としてつくられた小さなヴォリュームの接点であるこの階段室。
建築の形式と都市との衝突がここ一点にしぼられたような、階段・開口・壁・天井の、あらゆる向きと高さにおける重なり合い。
シザがすごいのは、そうした都市との擦り合わせが矩や対称、またツライチといったもので非常に整えられつつその情報量をそぎ落としていないことである。
建築が、建築にしかつくることのできないきれいなカオスをつくっている。


ということでその階段室を過ぎればシザの世界が今度は十二分に広がる。
まずはやはりという感じで1層目の高さに設けられた軒が端から端までのびる。
そして2層目を挟み、今度はEVORAで見たような立面にツライチで配されたテラスの壁(いいかげん建築用語で覚えなければ...)がリズムをつくる。
ただそのリズムがむちゃくちゃ細かい。
ものすごく単純な捉え方かもしれないが、このリズムの違いこそシザの都市に対する2つ目の解答のように思えて仕方がない。
そのリズムは壁だけでなく、異常なまでに縦長のプロポーションをもった窓や2層目に露出する雨樋、またはさっきの軒の上を走る手すりのスティールによって増幅され、
そういった建築のエレメントの配列による細かなリズムはそのまま、都市に住むということがいかなるものかということを奏でているようでもある。
要はものすごくストイックな立面がリズムやプロポーション、スケールによって成立させられているってことなのかもしれない。


そんな立面に開けられた道空間を抜け裏へ回れば、今度は窓が減らされまた赤く塗られることで、幾分マッシヴになったかのようなエントランス部。
都市の住み方は魅せるが生活は見せないことを表明するような抑制された立面のなかで、
それを欠き取るように設けられた大きな窓というかガラス張りのテラス室のようなものは、この建築の豊かさを垣間見せる数少ない瞬間。
右手には横を走る線路と決別するための無味乾燥な壁が立ちはだかっている。
さらに進む。


と今度は、最初に見た立面にとってつけたかのような階段がハンパない数で並んだ立面。爽快。
コンクリートの唐突な素材感も効いている。
にしてもここまでの3面、立面でこれだけ遊べるってすばらしい。
その階段がのびる開口のプロポーションがここいちばんな感じの細さで、ほんとどうやって入るんだというかっこよさ。
その後もこうした同じようなのだけれどどこか違う立面の連続を体験しながら生活を想像しつつの1時間ばかし。
駅から見えるのはおそらく建築家がやった建築史上最大限のグラフィティに埋め尽くされたちょっと残念な気持ちになってしまう立面だが、
コンクリートむき出しの面できれいにそれが止まってることにどこかポルトガルのガキンチョたちの律儀さを感じたりもしたりして。


つづく少し遠出してのソウト・デ・モウラによる ESTADIO MUNICIPAL DE BRAGA は卒制の際に知って興奮したぼくにとって重要な作品のひとつだったのだが、
残念ながらガイドツアーの時間に間に合わなかったせいで近づくこともできず。
MUNCHENのときといいこの3人はスタジアムには縁がない。後腐れ残して泣く泣く次の目的地AVEIROを目指す。


よく考えればなぜにそんなに急いでたのか忘れてしまったが許された時間はたった45分 VS RESERVATORIO DE AGUA/BIBLIOTECA DA UNIVERSIDADE DE AVEIRO 。
赤いレンガで統一された建物とその向こうに見える海がkrさんの言う通りなかなか美しいキャンパス。
まず給水塔が敷地の奥にのぞき、そしてちょっと入り込んだところで他の建物より少しばかり贅沢な建ち方をした図書館と出会う。
四面に充分な引きをもって、芝生のなかにポツンとたったそんな建ち方。そして立面がその建ち方を雄弁に説明していく。
knzさんの説明(*2008/10/22)がベストなのでここでは割愛。まさにこの通りだった。
ぼく的はやはり南東の大庇がポルトガルの強い日差しに負けない強さを持っていてグー。
独特のかたちをしたこの庇は、非常に強い光がつくる白いヴォリュームとその裏で影がつくるグレーのヴォリュームを背中合わせに抱え込むがためのかたちにも見える。
その高くグレーによどんだ空間がなんともいい。さすが軒王子。


中も想像以上の気持ちよさ。なんてったってまんまるトップライト。
天井の厚みに青白い光がたまってまさに水玉のごとく光っているのがたまらなくきれい。
そのトップライトの光が差し込む吹き抜けと窓辺に机と椅子が置かれて閲覧スペースになり、残りのスペースに書棚が並ぶというシンプルな構成なのだが、
先の四面がつくる光によって四方で異なる光景が広がる。
内部と外部がしっかりと呼応している空間を体験できるってのはほんとに貴重だ。
南西なんかは昨日の教会のごとく横長窓が開けど、それはワンクッションためて送り込まれた光でとても優しい。
最上階に上がれば天井がRをもっていることに気づきさらに感動。ただただ柔らかく気持ちいい空間。
ゆっくり堪能できないのが残念だが20分ほどで退散、給水塔へ急ぐ。


これはLISBONで見たパビリオン同様シザお得意の一発芸的作品で、やはりスレンダーさが際立つものに仕上がっている。
この建築のおもしろさはそのスレンダーさが、
象徴的な廊空間をくぐり抜けた先の、敷地の焦点とでも言うべき場所における建ち方に対する「塔」という回答を示していることだと思う。
もうそのくらいしか考える余裕しかなくここでタイムリミット。AVEIROの街を激走。


さてPORTOにカムバック。22時からのコンサートに備えつつカサダムジカ3度目の侵入(昨日もチケットを買いに実は入っている)。
今日はこないだ辿り着けなかったレストランなどを目指す。
それが形振り構わずしらみつぶしに扉を開けていくことで非常動線探検にシフトチェンジ。これがおもしろい。
大シューボックス、メガホン状の小部屋、そして流れるようなメイン動線の空隙を縫うようにしてつくられたであろう非常階段のたたまれ方が物凄くかっこよいのである。
メイン動線の階段のように広がったりすることのない階段が、今度は15段くらいのユニット同士で離れたりくっついたりしていくことによりつくられる複雑性。
それがなにか朝見たシザの階段室にも通ずる。階段という建築部位において都市と建築を擦り合せるときのカオスあるいは雑居性みたいなもの。
加えて、目線に近いところで何かが横断するという状態はおもしろいということにも気づく(シザの軒もそうだが)。
次の階段が目の50CMくらい上でちらちらしまくり。
他にも何に使うのか分からない斜めの床だけがある2畳くらいの部屋や非常動線なのに異常な天高になっちゃってるところなど、
突っ込みどころが満載でただただ楽しい。誰もいない密室空間で発狂しまくる。


そうこうしたのちついにレストラン。そして断言。
カサダムジカで最もよい空間はここである、少なくともぼくにとっては。


エントランスおよびその他数ヶ所程度であくまであたかも露出してしまったように表現されていた線としての構造が、
ここでブレースというエレメントにカタチを変えて一挙に空間のなかを暴れ出している。
潜っていた何者かが「プハァっ」て感じで、それだけでとても爽快な気分になる。
6つの巨大なそれが床から突き出て天井に達し、すぐさま跳ね返ってまた床に突き刺さって消えていくさまは、
この床の下にある物凄い巨大な、だが構造に関しては不透明なマッスのなかを掻い潜ってきた身にとっては、
何か点で屋根に刺さったひもみたいなブレースにでかい塊がぶらんと吊られているんじゃないかというふうに感じたりもしてしまう(明白なわけわかめ発言だが)。
そのブレースはとても大きなエレメントで全然ヒューマンスケールじゃないんだけれども、
斜めに倒れてくる壁に従ってそれぞれが徐々に傾きを変えていくようなしぐさは、この建築のシステムをついにここで高らかと表明するような印象もあり、
とてもジェントルメンな感じも受ける。
そんなブレースや斜めの壁の堅いコンクリートの質感に対し、
クッションやカーテンといった素材がうまいこと柔らかさを出してレストランの雰囲気をちゃんとつくっているところもオトナ。レム惚れる。
食事をしてみれば当たり前のようにうまいところでもう完敗。
メシがうまいと感じる空間はいい空間だということがぼくの経験値としてどんどん貯まっていってくこの頃。


あまりにいい気分になれる空間でついつい長居してしまい、慌ててテラスも拝見。
ついにここまできたーな市松空間。目の前には広場のモニュメント。
うまく柵の処理とかもしてあってなかなかに気持ちいい屋上庭園になっている。ただ家具の並べ方がイケてない。
ここまで来て気づくのはテクスチャーというものも使い方次第で決して抽象度や形式性を壊したりするものではないんだということ。
夜にばかり回っていたのもあるけれどこれだけやっててもそこまで目立ったり暑苦しかったりするものではなかった気がする。
むしろ暖かかったり、触れてみたくなったり、あくまで+αしてくれるものになっていたと思う。


ではポルトガルもほぼラストイベント、いざダムジカライブへ。
演目は「子供たちによるバレエの発表会」(仮)。子供のころのピアノの発表会を思い出してしまうようなかなり内輪な空気へ潜入。
ふだんはお客さん用のバックスタンドの席も演目に利用したりしていて、どんなふうに使うのかも考えられつつ素直に楽しめる。
あのなみなみガラスは都市に対する緞帳のようにも見えるなんてことにも気づいたり。
あとは至ってふつうの靴箱、この建築の問題はこの空間だけで捉えることなんかじゃないってくらいのユルさ。
それが演目と意外にシンクロ、なんつて。


その証拠に終わって出てみれば見事な風景のなかに自分も呑み込まれる。
一昨日見た流れに何百人もの人が思い思いに身を任せていって、実際のショーよりも演劇的な空間がそこにできているではないか。
この、ふつうなら煩わしい退場のひとときをここまで豊かに魅せる空間はあとはベルリンフィルくらいしかぼくはまだ知らない。
ライブハウスくらいのレベルでも、こんなことを考えてみたいものだ。
下のカフェにはかわいい我が子を待ってるんだろう大勢の人が詰めかけている。もうほんと好きだこの瞬間。


最後のポルトガルの夜。駅から見るカサダムジカの遠景がずるいくらいかっこよい。


集住、シザ階段。きれいな、カオスあるいは雑居性。

よく見れば「窓」に「ガラスがない」というズレがつくる透明感が効いてカオスをつくってる。建築だ。

EVORAに対してこのリズム。同じ拍のなかでの2層目の要素の変化が楽しい。構造壁か、テラスの壁の厚みがかわるところは演歌のこぶしみたいなもんだ。

ズラリ階段。ポルトガルの英雄は勇気が違う。

その階段の先にある、細すぎる扉。体重制限必要なんじゃないかこの集住。

こんなところに純粋階段。

落書きの絶妙なトメ。シザ魂が宿ってます。

犬は野犬とかがたまに恐いことがあるが猫はどこへ行ってもかわいい。軒上はこんな感じの鉢植え。

残念ブラガ。まぶしすぎて崖も見えやしねえ。

AVEIRO入りまして図書館。庇ででーん。

その庇の表と裏。下にいるだけで風も抜けて物凄く気持ちいいんです。

対してへこみでーん。四面がほんとにそれぞれ顔を持っている。

図書館内部。気持ちよくない訳がないじゃないか、という構成。

ネクスト給水塔。見上げ。まず高い。

前から。細い。何度も言いますが給水塔です。

うしろ。ちょっと透ける、きらきら。

そして下から。要はこれがポルトガルだ。

また来ちゃいました、柱グサリ。もう柱はスラブを支えてるなにかではないのだ。

折り重なる非常階段。実はむちゃくちゃスタディしてそう。してるんだろう。

つくづくくだらない建築学生ですみません。使途不明ナゾの部屋。

おととい来れずだった最もデーハーな部屋。ポルトガルらしいタイル張り。

来ましたレストラン。贅沢すぎる天高。ひたすらの動線空間をくぐり抜け不意に大きな空間に出会う感動。

レジやキッチンがこのように。構わずブレースがざくざくいきます。

N!N!N!

ヨーロッパにいるあいだに世界三大珍味を制覇することを決めた瞬間。

テラス。いやぁこういうふうに仕込みましたか照明。うますぎです。

舞台へ急ぐバレリーナたち。こんな裏の風景がカフェから垣間見える。そして絵になる。

そして主役のぼうやが登場。ひとり笑いをかっさらってました。

リビングからホールへ。空虚は空虚のまま。やはりすごいコンセプトだ。

終了直後。至るスキマから人が溢れ、至る方向に流れていく。

まさに退場劇。観衆を主役にすればそれはもう都市である。建築が都市になる瞬間。

夜ダムジカ。タブララサを前に頭を傾げて何を思う。