まだ暗がり

のCHURの街からバスに乗り、今日は ATELIER ZUMTHOR から。


の予定がどうも年始のせいかそこまで行かないらしい路線バス。ということでその手前MASANSで降り、WOHNUNGEN FUR BETAGTE に行くことにする。
完全に予定外だったので地図を用意せずも調べたときのかすかな記憶を頼りにふらふら、そしてまたもビンゴ。
スイスは小さい。


とにかくでかい開口部が気持ち良さそうなズントーによる老人ホーム。
エントランス側は、ひたすら長い建物のプロポーションとその窓の関係からでかい1階建ての建物に見えなくもない。
1階の引き違い窓のうえに2階の引き違い窓がツライチでそのまま乗っかったようなディテールがそれを強調している。
残念ながら入れずだったがその見え方がとても大らかな空間をイメージさせてくれている。
緩やかな傾斜地の谷側にあたる裏に回れば今度はそれがわざわざ白い石のラインで線引きされた二段のバルコニーにかわり、大きな基壇からキャンチするような建ち方を見せることで、
急に三層分の建物そのままの大きさを表現したファサードに変化。
さきのどこからでも迎え入れますみたいなエントランス側のファサードとはうってかわって内部の人が守られつつ開いているような顔だ。朝からなかなかおもしろい。


CHURに戻り、 昨日のオルジアティのカフェに行くもかわらずクローズ、仕方なくあきらめ BUNDNER KUNSTMUSEUM CHUR へ。これもズントーによる、今度は改修。
ファサードおよび連結部分の改修なのだが、最初はただのルーバーというふうにしか見えずちょっと期待外れという内心。
が、中に入ってよく見ればこれは、銀に塗られた木ではないかってことに気づく。
形状というか組み方というか、そういうのは完全に金属系のサッシを模している。かなり変態的。
同じ銀塗装のなかで、いかにも木らしい大きさで木らしく組んであるところと完璧に金物っぽく見せているところが入り交じり、
それが最初感じた肩透かし的な印象と変態的な印象とのあいだを行き来させそこに意味がもやもやと浮かんでるような緊張感が漂う。相変わらずただ者ではない。
展示も想像以上におもしろく3人であーだこーだいいながら芸術と戯れる珍しいひとときが楽しい。


そしてそこからは少しばかり遠出し、山間の村を果敢に攻めていく。
息子の反撃、ヴェレリオ・オルジアティを探し求めてまずはSCHARANS、 ATELIER BARDILL 。


FLIMSの白い街並とは対照的に、木造の焦げ茶色の家屋の目立つほんとうに小さな村。
だれも降りないようなバス停から少し歩いただけで、その街の色を模したという赤茶けた色の大きなヴォリュームが顔を出す。
「大きな」というが実際は他の家屋と同じくらいの大きさでしかない。
鉄板のようにも見える実はコンクリートの壁の重さ、その壁に掘られたさまざまな大きさのノンスケールなパタン、他の家に比べて大きすぎる窓、
軒の出がなく家形が強調されることでのマッシヴな印象、などといった要素がこの建築を大きく見せている。
そして中に入ればそれに見合う、円形に雪が積もっただけの、ただただ何もない大きな空間。
円と三角といった強い幾何学は、青すぎる空とパワフルな山並みを前にしては堅苦しくはなく、
むしろ遺跡や廃墟や工場などといった、人のためではない空間のもつ突き抜けた爽やかさを演出しているように見えなくもない。
大開口から伺えるこの建築の大きさの半分にも満たない空間は、だがとても大らかな生活のできそうな、まさにスイスリッチのための空間である。
こういう贅沢さは嫌いじゃない。


続いてバスでさらに奥へと進みPASPELS、 PASPELS SCHULE 。
先の村に埋もれるような建ち方とは対照的に、村の入り口の開けた傾斜地にどーんと構える建ち方で、石ころのようなコンクリそのままのグレーがしっくり。
金色の窓枠もオルジアティらしくちょいわるだ。
そんな外観の様子をバシャバシャと撮っていると、偶然にも掃除をしていたおじさんが中に入れてくれるという合図。冬休みにも関わらず幸運である。
そうして入ったこの中が、むちゃくちゃにいいのである。
あの、歪形の箱を四隅に並べることによりこれまた歪んだ廊下のような空間をつくりあげた有名なプラン。これが想像を超えるほど複雑な風景をつくり出しているのだ。
とにかく思った以上に抜けがない、そして抜けたと思っても微妙に焦点をはぐらかされているような、そんな感覚。
「路地のような」なんてありきたりな表現になってしまうがまさにそんな感じ。それがかなりの抽象度で達成されていることが凄い。
もちろんプランだけではなく、縁を切った箱や階段、そして見えないところに無限の広がりをつくるような横からの光をつくる窓など、
細部に至るまでの周到なデザインが相まってそういう空間ができているのは言うまでもない。
想像可能な抽象化のもとでその想像を超える具体をつくりだすという、まさに建築の真骨頂が如何なく発揮されている必見の空間である。
独特の浮遊感をもつ、壁に対して勝ちになっている扉の先の教室も見せてもらえば、大きな水平連窓から雪景色が望める気持ちよすぎる空間。
そんなところで育つと子供の感性はやはり研ぎ澄まされていくのか、先の廊下に並ぶ図画工作の作品はどれもハイセンス。
この廊下があればそんな子も育つだろうと、本当にそんなことを思わせる豊かな空間である。


息子の実力をまざまざと見せつけられ大満足でCHURに戻る。にしてもレストランのチーズフォンデュはパンオンリーすか。


ズントーの老人ホーム。サッシがすごい。ズントーは常に大胆さと緻密さを同時に表現してるように思う。

その裏側の大きなテラス。いい感じにおじいさまおばあさまが改造しているのがよい。

残念ながら入れずのルドルフのカフェにて柱を確認。ここのは特に太いす。

美術館の渡り廊下。ここでは不覚にも木だとはまだ気づかず。

対して中。部材がでかすぎる手すりと小さすぎる窓枠。そのあいだに意味が浮かび上がってくる。

SCHARANSにてナイスな顔を発見。

そんな村に埋もれるような、赤い家形。

よりのその1、窓の様子。四角と丸と三角の競演。

よりのその2、模様の様子。想像以上に深い模様がつくる影がなかなかに美しす。

そして中へ。手招きする幾何学

その円形の庇の上はもう赤い三角と青すぎる空だけ。

いろんな幾何学が混じり合う。

少し離れてみれば破れた家形。茶色の村での、赤茶の若さ。

続いて学校。滝のような雨が流れてくるんじゃないかってくらいの雨樋。

重々しくも地形に身を委ねるような建ち方。

まずは明るいエントランスに迎えられる。浮かぶ下駄箱。

そして廊下。縁が切られまくることで、それぞれがバラバラにされたエレメントとしてシンプルな空間のなかに漂っている。

小さな村の学校が都市のような空間であるということ。

ポルトガルにも負けない光。

最後に教室。これは外を眺めていても怒られないんじゃないか。

夜も攻めるが間に合わずのルドルフのカフェ。中はこんな感じです。