都市の血液

は人間である。


スケールは違えど、岩上に建つ、同じような構造を持ったはずの2つの都市が、人のいるいないだけで
かたや生き生きとした躍動的な姿を見せ、かたや死んでしまったような風景になってしまっている。
そんなことを1日で目の当たりにして、半ばショックを受けての一思案。


つまりは人のふるまいを建築ひとつひとつがもう少しずつ開放することができればもっと街は生き生きとするはずなのである。
なんで開放するかってのはこういうことか。
そして開放するってのは決して生活を曝け出すことを強いることなんかじゃないってことは言うまでもない。


天空の城その1、ORVIETO。トスカーナからウンブリアに入りました。

引き続きまさにイタリアな美しい茶色の街が広がります。

SIENAに負けないDUOMO。小さい街なのに、パワーある。

美しすぎるのでヨリ。

ORVIETOでよく見かけるこの手の窓。

そのDUOMOの前に、またもや訴えかける窓の配列。

猫もなんか訴えかける。

トスカーナ的風景からウンブリア的風景。まさにランドスケープ。日本にはない概念。

ORVIETOの端っこにあった神懸かり的な教会。緊張感バリバリの内部空間。

思い思いに開けられた窓による光と影の重層的なコンビネーション。奇跡です。

天空の城その2、CIVITA。こっちは夢なんかない、死んだ街だ。

もうなんか、ちょっと恐いし。

玄関を開けたら青空な家。

もちろん行った時間帯が悪かったんす。物音ひとつ聞こえやしない。

だれかに似てる。一層恐いし。

猫だけはかわらずいました。こいつの表情もどこか恐いし。

今まで食べてたのはなんだったんだってカルボナーラ。ありがとうORVIETO。