H&deMの典型

は、外におけるマテリアリティーと内における階段のシンボリズム、ではあるまいか。
啓隊長のいう作家性を帯びた空間というものをH&deMで考えるならばぼくはこの2つに集約されると思う。
シャウラガーしかり、COTTBUSの図書館しかり、そして今回のKLANG&BILD IM KUNSTHAUS AARAU しかり。


特に階段に関していえば、
階段そのものを解体してシークエンシャルな空間をつくるレムのようにではなく、
あくまで階段という言語のかたちをそのままに、なかば装飾的に扱われたそれによってなんでもない構成を貫くH&deMのやり方は、
ときに退屈なようでどこか非常にクラシカルで真っ当な建築家のスタンスを示すようでもある。


ここにファサードも含めれば、部分しか扱わずしてつまりは印象というものによって、全体を統合するというスタンス。


これが今回の目的地、 KLANG&BILD IM KUNSTHAUS AARAU 。

その、ファサードと階段てものが融合してしまうのがこの建築のおもしろさ。

グリーンのフィルターを通して間接的に内部空間を感じつつその階段を上れば。

広がるのは苔の屋上庭園。

そのマテリアリティーを味わってくらさい。ちなみにこの建築の裏にはこの庭園と同じレベルで公園が広がってまふ。

ではその階段を中から。ほぼこの印象につきる内部空間。

もう下からまで。青木淳

それと対にして奥にももうひとつ。これがなんでもない展示室をつなぎます。が、あるもの自体はすばらしい。初ヨゼフソンがビシビシくる。

印象的なふたつをつくることで自由を得ているといってもよい、金色の壁。

街歩きもす。絵が描かれるのがAARAUの軒裏。

こういうのもあります。パビリオン建築は使われないときをいかにデザインするかが肝だと思い知らされる寂しさ。