復興よりもまず

片付けることが求められている。
震災から3ヶ月たった今の状況を見て思うこと。
被災地レポート、ボランティア篇。


6月18日の本日、岩手県の北上青年会議所が募集を行っているボランティアにたった1日だけでしたが参加させて頂いた。
まず朝6時、北上で20人ほどが集合し、青年会議所のバンで沿岸部の釜石へ向かう。
行き先は日によって異なるらしく、その時々の状況で大船渡や陸前高田にも行っているそう。
2時間ほどで釜石に到着すると、釜石のボランティアセンターが設置されている釜石シープラザに集合。
このあたりはもうコンビニも復活していたりして、品揃えも通常通り。
ボランティアの人たちはここで食べ物や飲み物が買えるようになっている。
集合後、今度は釜石VCがそれぞれの団体に作業を振り分けていき、この日北上の団体は商店街の住宅と小さな町工場で作業をすることに。
このセンターでは長靴や踏抜き防止インソール、軍手、スコップ、ゴーグルなど必要な道具は問題なく貸し出しできるようになっていて、スタッフの方々の快い対応も非常にうれしい。
ヘルメットを持ってきたがそれでは暑いとのご忠告を受けたので、帽子を頂く。そして現地へ。


この日ボランティアに参加していたメンバーは、多くは地元の方々。
北上の方もいれば、花巻の消防団の方々もいたり。女性も意外に多い。週に1度といったペースで定期的に来ているとのことである。
遠征組はぼくらと、北海道から10日間くらいの参加をされている方、あとは名古屋からの団体もいる。
名古屋の方々は設計系や美術系で働く人たちの集まりらしく、そういう人たちはやはり動きが早かったらしい。
そろそろ現地というところにくると、だんたんと1階部分がなくなってしまった建物が目に入るようになり、車は結構走っているが信号はついていない。


町工場での作業は、ある程度まとめられたもう使えない工場の道具や家財の運搬と、あとは基礎のあいだにたまった泥かき。
泥かきというのでどうもホントの泥を想像しがちだが、ここのはもう乾いている。
それをひたすらにスコップでかいて土のうにつめて、というのを繰り返しながらもとあった地面が見えるようになるまで平らにしていくのだが、
石やら木やら、またガラスやら皿までも出てきて、なかなかスコップが入らず思うように進まない。
そんな何が入ったか分からない土のうを女性が抱え込んで運んでいくのもかなりヒヤヒヤしてしまう。
でもみんな黙々と作業を進め、昼過ぎにはいったん目処がつく。


いったんセンターに戻って休憩した後、午後からはそうして集めた瓦礫や土のうを2tトラックで指定の場所まで運んでいく。
トラックが不足しているようで、代わりに乗ってきたバンも使ってみるが、もちろん1回では終わらない。
残念ながら待ちの時間も増えてしまい、今回の作業のなかではかなり深刻な問題なようである。
瓦礫はどこに運ばれるかというと、沿岸部を抜けた先の山あいに巨大な集積場ができていて、そこに鉄や木材、タイヤ、コンクリートといったようにちゃんと分別して捨てていく。
その量はやはりもの凄いもので、津波の衝撃をここで初めて具体的に感じる。
燃やせるものはできる限り燃やしていくらしいがいったいいつになってしまうんだろう。
それを二度くらい繰り返すともう15時過ぎで、本日の作業はここまで。


20人かけて1日1件。
途方のなさに呆然としながらも、きれいに片付いた敷地と家主さんのほっとした姿にわずかながら安心。
依頼した側、参加した側のお互いから自然と出る「ありがとうございました」が解散の挨拶。


以上が1日の作業の過程である。以下、感じたこと。


まずはやはり圧倒的に作業が進んでいない。
物理的に見えるがれきといったものからも感じることなのだが、それ以上の感じさせるのは作業している人の少なさだ。
今回行った釜石で自分たちのグループ以外に見たのは5グループいるかどうかという程度。
そしてこうしたボランティアの作業は、基本的には家主さんの依頼があって、それをVCが一括で受けて、各小団体に分担するという流れになっていて、
ボランティアの強い思いとは裏腹に虫食い的に進めていくしかないという状態であり、その計画性のない感じがさらに作業の途方もなさを強調してしまう。
例えば3ヶ月間全く手付かずな建物の隣で、もうリフォームまで済んでテナントを募集している建物があるなんて状況も起きている。
そういった作業をVC以上により大きな力で統括する団体は、と考えると市や県、さらには国となると思うが、
残念ながらそうした登場人物は今回はほとんど見ることがなかった。
これまでは自衛隊がきっともっといてそういうこともなかったろうが、その自衛隊も6月いっぱいで撤退らしい。
「地元の業者で復興を」と東京で聞けば聞こえはいいようなことで市から撤去作業を請け負った建設業者はというと、
市場原理が働かなくなって全くゆるゆるの工程になってしまっているそうで、
本当か嘘かは知らないが自衛隊も彼らの作業がなくなってしまうからという訴えで撤退してしまったなんて話も聞いてしまった。
そのくらい現場はさまざまな思いがばらばらになっていて、残念ながら復興への足取りはどんどんと重くなっているようである。


次に感じたのは「とにかく片付けたい」という現地の人の思いである。
今回作業させて頂いた町工場のご主人さんの指示を聞いていたりすると、とにかくこの津波のあとを見たくないという思いが伝わってくる。
先のことなどはあまり考えていなくて、でもとにかくゼロの状態にしたいという思い。
瓦礫が与える心理的影響も予想以上に大きくて、少し眺めているだけでもとてもストレスを感じるし、
また釜石なんかは水産産業もあったから匂いもひどく、魚もまだごろごろしているので蠅なんかももの凄い大きさに成長していて、
実際このままの状態で夏を迎えてしまうのは衛生的な面からも見てもかなりの不安を感じる。
「この匂いとこの瓦礫を横目に子どもたちが通学しなきゃいけないなんて」というセンターの人の思いが響く。


以上、走り書きのようになってしまいましたが、
自身が忘れないためにも、また現状を少しでも知ってもらうためにも残します。
「復興」へのアイデアが今あらゆるところから出てきているけど、それよりもまず「片付ける」ということに知恵が求められていると思う。
まず本気で片付けて、この混沌として止まったままの現状の問題を整理することで初めて、
本当に次のあるべき姿が議論されるべきなんじゃないだろうか。


最後になりましたが北上青年会議所の方々、今回は貴重な体験をさせて頂き本当にありがとうございました。
ぜひとも次の一歩に活かしたいと思います。


朝の集合。

釜石の様子。道はきれいになれど、そこからはあまり進んでいないよう。

建物、特に全く手付かずのもの。

釜石の幼稚園。ただかなしい。

臨時瓦礫集積場の様子。

被害の甚大さが分かる。こうした山がいくつもできている。

作業が終わったあとの現場。きれいになるんです、ただ手が足りない。

生まれた瞬間

に、人間は世界というものの中に投げ込まれる。
「被投性」ということばで、ハイデガーは言う。


そうして投げ込まれたその世界から自らの身を守るために、
人間は屋根を架け、壁を建て、また手を繋ぎ、共同体を築いてきた。
それは人間にしかなし得なかった決死の努力の証であり、
また素晴らしい知恵の結晶であり、
それゆえに今日においても大きな愛に支えられ、また我々人間を支えている。


けれどもその営みが反復され、あるスケールをもつものとなっていく過程の中で、
いつのまにか今度は社会、あるいは制度というものが生まれ、
いつのまにか多くの人間は世界なんて忘れて、
盲目的にその社会というものに今浸っている。
それがとても大きな束縛だったことに気づかないふりをして、安住している。
現代の社会は、そうして確かにそれなりの幸せはありつつも、
しかし何処か不透明で疑いに満たされている。
そんな社会の中で、建てることの目的を問わなければならない。


そうした人間をいかに自由のもとへ再び投げ出すことができるのか。
「投企」ということばで、ハイデガーは投げかける。


これまでに抑え込んできた被投性を見つめ直し、
そして、これまでに培われてきた愛との緊張関係を捉え直すことによって、
人間をその鈍った社会から解放し、様々な瞬間にあふれた新たな世界をつくること、
それが目的のひとつにならないか。
ハイデガーの投げかけた問題に対して、様々な条件の下に繰り返されてきた建築には、
こうして愛をもって取り組む力がある。


アスプルンドによる森の葬祭場、
それとも、パラーディオのマルコンテンタ。
緩やかに傾いた天井を支える柱廊越しに垣間見えるたゆたう大地に、
あるいは、わずか200mmほどに抑えられたソファから見上げる無限の宇宙のように広がる天井に、
ぼくはそこにこの被投性と愛の緊張関係を感じ感動したんだろう。そう今は思ってみる。


暗がりを進むはやての中で、
そういうことを明確にされた若き建築家との衝撃的な一日をふと思い出し。

みやしたこうえん

がついにオープン。したのでチャリを飛ばして本日見てきました。
自身はちょっと模型づくりを手伝ったくらいですが、研究室に入った当初に動き始めたくらいの長い長いプロジェクトであり、
研究室にとっても非常に意義のあるプロジェクトでもあることで、とても感慨深いです。
意外に当初からの要素も残っているのにも驚き。
携わった皆様、本当にお疲れ様です。雨の渋谷を裸足で走るいがさんはきっと忘れません。


模型をつくったり、またはたからスタディを眺めているときはどうしても俯瞰的な印象が強くて気づかなかったけど、
短手断面にぎゅっと束ねられた関係性がとにかくおもしろい。
アーバンウォールでできた谷のあいだを、電車が、車が、自転車が、歩行者がそれぞれのスピードで流れていき、
そこにスケートボード、ロッククライミング、フットサルといったスポーツがパタパタと展開していく。
全然かたちは違えど、きっとコールハースのラヴィレットもこんなんなんじゃないかと思うし、かつ凝縮っぷりが断然上な分こっちのがきっとエキサイティング。
そうして流れるものもある一方で、縁に延々と設えられたベンチに座る人や、公園の下のパーキングに並べられる車、また新たな居場所を与えられたホームレスというふうに、
留まるための場所がいろいろなレベルにできているのもだれでも迎え入れる包容力みたいなものを感じる。


この建築はさまざまな問題を抱えながらつくられて、その問題はまだまだ解けていないのかもしれないのだけれど、
でもその問題を偶然な部分も多少あるが新たに秩序立てられたところに魅力があると思う。
そうして明らかに浮かび上がった問題に、またいろんな人が意見を投げかけ、手がかけられていくことで、
常に流動的で生産的で実践的な、他の都市ではみられない類稀なるパブリックスペースに育っていくことを期待したい。


まずはその参加者のひとりになることから始めようと思う。


ででん。新たなアプローチがついております。みやしたこうえん MIYASHITA PARK, atelier bow-wow/2011。

クラブハウス越しにクライミングウォールを見る。クラブハウスは夜のダンサーを誘う鏡面仕上げ。

電車、スケーター、歩行者、ベンチに座る人、ホームレスと、さまざまな演者がウォールに挟まれる、今までにはなかった都市の断面。

サッカーボーラー越しのトレイン。

見物する人越しのスケーター越しのトレイントレイン

スケボーパーク。土木的な宮下公園に超フィット。横でギャルが「ヤバくね」連発。

ライミングウォール。都市を登る。

埋もれる動物たち。

ここは何に使われるんだろう。期待期待。

第二の地平。統合するモリモリの木々。そして眠る人。

おまけ。ジャパニーズコロッセオ大橋ジャンクション

もうむちゃんこでかい。むちゃんこかこいい。

これが住宅街の真ん中に突如出現しちゃうなんて。東京まだまだおもろす。

だれひとり

同じことをやってない代々木公園。
街の魅力は人がつくる。だからこそ人がみえる街を。
外のような空間をつくる理由ってのは、このくらいいたってシンプル。


桜も散って、今度はどんどん深まる緑。

今年もできる限り

桜を見に行くこの3週間。


もう毎年恒例となりつつある中目黒に始まり、谷中霊園、上野公園と見て、最後は浜離宮
特に浜離宮の八重桜は、満開が他のところより少し遅くて、かつなかなか他では見られないかわいげな咲きっぷりが見れおすすめです。
中銀がまだ健在というのも驚き。


素晴らしき日本のパブリックスペースがひょいと顔を出すこのわずかな数日間は本当に楽しい。
まだまだ勉強が足らんとです。


中目黒。いつみてもいい。

大山公園。通勤路にてパシャリ。

これも通勤路にて。隙間いっぱいに桜が満ちて、今年見つけた桜の中でもかなり好きな一本。

谷中霊園。先祖と花見なんてなんて粋。

その2。こんなきれいな花の下で眠りたい。

谷中銀座。他の銀座とは一線を画す磨きのかかった賑わい具合。青空将棋少女。

肉のサトー。初めてメンチカツがうまいと知る。

それを片手にビールケースに座って琥珀エビスの生をぐい。こういった並びの連続。完成されてるぜ谷中銀座

そこから根津方面へ。SCAI THE BATHHOUSE。残念ながら休みの日は開いておらず。

カヤバ珈琲, 永山祐子/2010。素晴らしい枠組みだと思います。

へび道。予想以上にくねくね。どの店も奥行がないが引き伸ばされた間口をめいっぱいに使って商売してる。物理的に隣接せずともある共同。

浜離宮。汐留のグズグズな風景が際立つ。庭園がかなり自由気ままにつくられているのが唯一の救い。

出ました、八重桜。桜がバラの仲間であることが分かります。

最近復元された松の御茶屋。面の木サッシが魅力的。入りたい。

中銀カプセルタワービル, 黒川紀章/1972。50000円くらいで今も住めるらしい。

実は我が新居にも立派な桜が。愛する自由が丘を離れ次は下北沢に住んでます。

こういうときこそ

実行するってことが大事だと知る。


もうできないことを嘆くんじゃなくて、やれることをちゃんと実行すること。
誰にでも、どこかのタイミングで、これまで蓄積させてきた日常を少しだけひと押しして、
今この状況を改善するためにやれることがあるはずだ。
少なからずもサッカー少年だったぼくに、内田や小笠原が教えてくれた。感動したし、かっこよかった。


犠牲になられた方々には本当に心からお悔やみ申し上げるとともに、
被災された方々に少しでも早く安らかな日常が戻ってくることをお祈り申し上げます。
そして復興を目指し今まさに命懸けで取り組まれている方々にはただただ感謝し、無事を祈っています。


最後にこれからの日本の明るい未来を祈って。


向井秀徳, ふるさと/Recorded at Matsuri Studio 2011/3/16。